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本編部門 01 マグネットマン

マグネットマン

ペンネーム:ぽのか先輩

 ある日、右手の甲に「S」、左手の甲に「N」という黒い文字が浮かび上がった。僕は写真を撮ってネットに上げた。
 「これ何の病気?誰か教えて」
 反応が来た。
 「きもい」
 「あーこれは死ぬ病気ですわー」
 「ご愁傷様」
 「マジックで書いたんだろ」
 「クソスレ建てんなガキ」
 「はい解散」
 当然ながら、おふざけと思われて相手にされなかった。僕は寝た。
 翌日。なぜか無性に外に出たくなってジョギングをした。SとNはまだ消えてなかった。気味が悪い。
 さらに気味の悪いことが起こった。いつのまにか僕の体は、まるで何かに吸い寄せられるかのように無心に走り、気が付くと刃物を持った男の前に立っていた。
 「は?映画の撮影?」
 男が向かってくる。すごい表情。どうやらガチの通り魔らしい。死んだ。さらば、僕のチンケな人生。…と思ったら、なぜか僕の右腕が勝手に伸びて、手のひらを男の顔の前にかざした。男は急に刃物を捨てて、その場にへたり込み、こう叫んだ。
 「人を殺して自分も死のうと思ったのに……急にその気がなくなった……」
 警官らが男に飛びかかった。
 「なんだ今のは?」
 僕は怖くなって家に帰った。気を紛らわそうと思いツイッターを見たら【少年が通り魔の殺意を消した?】というツイートと、僕が男に手をかざす動画が載っていた。結構な話題になっている。次に掲示板を見た。
 「あの動画イッチ?」
 「S極N極?磁石みたいに吸い取る能力ってこと?」
 「S極は殺意?w」
 「sadismじゃね?」
 「synaisthímata(感情)?」
 「N極の左腕は何を吸い取るんだ?」
 などと盛り上がっている。
 「なるほど。殺意とかの負の感情を吸い取る能力か。ネットは悪意の書き込みも多いけど、参考になる書き込みも多い。有り難い」
 僕はネットの皆に感謝した。そして嬉しいという感情で満たされた。小さい頃から僕は不運を吸い寄せる体質だった。あまりの不運で心を病んで、高校を退学し、ひきこもって、毎日どうしようかと悩んでいた。だけど、そんな僕でも、人助けができるんだ。
 僕は毎日走り回った。色々な人から殺意を吸い取り犯罪や自殺を防いだ。感謝はされなかった。逆に不審者扱いされて笑われた。それでも僕は満足だった。
 負の感情を取り込み過ぎたせいか体が弱った。このままだと死ぬかもしれない。だけど僕はやめなかった。
 家族は、ひきこもりの僕を嫌っていたから、手切れ金を渡し、二度と帰ってくるな、勝手にやってろ、そしてさっさと死ね、と言った。僕は手切れ金と今まで世話になったことへの礼を言い、あちこちの町に行き、人々から負の感情を吸い取った。
 感覚が研ぎ澄まされていく。「殺してやる…」「死にたい…」そんな絶望に侵された人の声を、正確な位置と共にすくい取ることができるようになった。
 中にはネットで僕の存在を知って、僕に「負の感情を吸い取ってくれ」と声を上げる人もいた。彼らは吸い取られ終わった後に、早く消えろ、気持ち悪いんだよ、と言って、僕を激しく拒絶した。それでも僕は満足だった。
 僕は人を信じている。人はよくない部分をたしかに持っている。けれど、よい部分もたしかに持っている。小さい頃から僕は不運を僕に押し付ける友達を笑って許してきた。たまには恨むこともあったし、そんな人たちばかりしかいない世界を否定することもあったけど、いつも最後は許してきた。
 僕が不運を吸い取ることで、友達が幸せになって、よい部分を伸ばすことができれば、今度はその友達が色々な人を幸せにして、色々な人のよい部分を伸ばすことができる。
 そしてまたその色々な人たちが、さらに色々な人たちを幸せにして色々なよい部分を伸ばしていくことができるだろう。それを繰り返していけば、きっとみんな幸せになれるはずだ。
 そう信じてきた。だから僕は不運を受け入れて、そのかわり皆が幸せになって欲しいと願い続けてきた。これからもそうしようと思う。たとえ能力を使うことで死ぬとしても皆を幸せにできるのならそれでいいと思う。
 しかし僕は何年経っても死ななかった。よく分からないが、たぶん、僕の中の生きたいという心や、皆を幸福にしたいという心が、吸収する負の感情を中和してくれたのかもしれない。
 そしてそれから何十年も、何百年も、吸収と中和を繰り返しながら、その過程で生じるエネルギーを糧に生き、活動し続けた。
 ある日戦争が起きた。殺意の声があちこちから押し寄せた。弾が飛び交い、爆弾が降り注ぐなか、僕は走った。そのうち黒い雨が降った。転ばぬように、一歩一歩、死体をよけながら、ぬかるんだ地面を踏みしめて歩いた。
 そうやって戦場を回りながら兵士たちの殺意を吸い取った。彼らは武器を捨て、敵同士、抱き合った。それを何度も繰り返した。やがて戦争は終わり平和が訪れた。
 しかし喜んでいる暇はない。殺意の声が遠い国から聞こえてくる。僕は喜ぶ人々に背を向けて走った。電車に飛び乗り、船に乗り、また電車に乗った。その時だった。まぶしい光がさっと世界を照らした。電車が浮いた。吹き飛ばされたのだ。僕の体は飛んでいた。両手と両足がちぎれているのが確認できた。強風に煽られながらじょじょに落下していく。ぐしゃり。僕は頭から落ちた。どうやら首が取れて、頭が胴から離れたようだ。熱風が吹いて僕の頭は転がった。だけどまだ意識はあった。
 世界中の核が爆発したのかもしれない。見渡す限り、地面がえぐれ、火を噴いていた。ドス黒い空は火の球の豪雨をボタボタ落とした。地球が破壊されたのだろう。地獄そのものだ。しかしここで諦める訳にはいかない。僕は願った。強く願った。
 「世界を復興させたい…そのためにはまず僕が……この僕の体を…なんとか……再生したい……」
 強く願うほどに、意識は明瞭になっていく。脳が強く動くのを感じる。頭部だけになった僕は各部位に集合を命じた。時間がかかった。まず右手の感覚が戻った。次に胴体。その次に右足、左足、最後に左手の感覚が戻った。その間に何千年もの時間が経過していた。いつの間にか火球の雨が止み、熱風が止まり、地面の噴火が収まった。僕のちぎれた体は少しずつ集まって来ると、やがて完璧にくっ付いた。僕は願った。荒れ果てた地球の再生を。強く願った。
 すると宇宙から大小の無数の隕石が僕をめがけて降って来た。僕は直撃を受けながら何度も再生した。再生するたびに再生力は強くなった。壊れて小さくなっていた地球は隕石を吸収し次第に大きくなった。雨と洪水が何千年も続いた。僕は流されぬように地球に足を踏ん張った。足の裏が地球に吸い付き深く固く根を張った。僕と地球は豪雨と隕石に交互に殴られた。無限の時間が経過した。無限の痛みが通過した。その無限の痛みは少しずつ無限の喜びに変わっていった。僕と地球は喜びに磨かれ幸福になった。やがて爽やかな風がそよぎ暖かな日が照った。
 綺麗な雨が大地を潤した。僕を中心に草が芽吹き、世界に拡がっていった。長いこと磨かれた僕は肉体を失い石柱の形をした黒い磁石になって草原に聳え立っていた。
 動物が誕生した。動物たちの中から一匹の猿が、吸い寄せられるように僕に近付き、僕にぶつかった。その時に舞った僕の粉塵には殺意が含まれていた。その粉塵を猿は吸った。
 猿は木の枝を掴み、ぶつかった怒りを仲間を殴り殺すことで発散させた。しかし粉塵の中には殺意の他に、僕が溜め込んでいたNous(理性)も含まれていた。
 僕が出会った人々の中には、有り余る負の感情はあっても、吸い取るに値するような理性は存在しなかった。だからN極の左腕は反応しなかったのだ。今分かったことだが、僕は旅の中で無意識に自力で理性を生み出し、左腕に蓄積することで、吸い取った殺意を中和して来たようだ。
 理性に目覚めた猿は天を仰いで絶叫した。眼には涙が光っていた。仲間を殺したことを後悔しているようだ。猿はおもむろに木の枝を掴み、自分の頭を叩いて死んだ。
 その死体を他の猿たちが食べた。
 彼らの子孫は進化につれて立ち上がり人の姿になった。争いが始まり犠牲者が出た。
 火を焚いて盛大な弔いが行われた。
 そしてまた争いが始まった。武器は骨から槍に、槍から銃に進化した。
 犠牲の増大に伴い弔いも簡素なものから盛大な儀式に進化していった。
 争いと弔いが延々と繰り返される中で、人々の争いが少しずつ減って、弔いのほうが栄えていった。僕は安心し、朽ちた。粉塵になって、空中に飛ばされた。
 粉になった僕は風に巻き上げられた。少しずつ意識が薄れていく。
 
 ついに僕の死ぬ時が来たのだ。しかし僕は死なない。僕の心は世界中の人々に受け継がれていくだろう。
 
 長い旅だった。その中で感じたのは人は理性を持ち得る可能性を秘めた強い生き物ということだ。
 
 同時に人は理性を狂わせるよくない感情を持った弱い生き物でもある。
 
 だが僕は人を信じる。
 
 理性という、人のよい部分、強い部分を信じる。
 
 人はこれからも誤ちを繰り返しながら、
 
 その中で様々なよいものを生み出し

 

 様々な困難を乗り越え

 

 融和していくはずだ

 

 

 そして

 

 

 

 眼下の綺麗な地球のように

 

 

 

 

 美しくなる

 

 

 

 

 そう

 

 

 

 

 

 全てが

 

 

 

 

 

 

 美しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 素晴らしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は世界に溶けた




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Opinions

  1. Post comment

    磁力という力は、今ひとつ実態の掴めないイメージですが、それが突然手に入る、というのがその後の展開と合っていて面白いと思いました。最後の行間は宇宙を感じます。

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