無敵の国
ペンネーム:〆切抜刀斎
世界にまた新しい国が生まれた。それも日本国内に、である。
元々は、日本海に面するX県Y町という人口が3千人ほどの小さな地方自治体だった。大した産業もなく、ただ死を待つだけの集落がそこにはあった。
そのY町にシノハラという30代後半の青年が訪れた。町は彼の話で持ちきりになった。「君はここで何をしているのだ。仕事はどうした?」と尋ねる者も多かった。シノハラは微苦笑を浮かべて答えた。「人生に疲れたんです。死ぬ前に自然が豊かな土地に住んでみたかったんです」
ムラ社会と揶揄される日本の地方であるが、ムラの掟に従うかぎりであれば、その恩恵に預かることも少なくない。ムラ社会では、同調圧力、相互監視、排他主義はありふれているが、それが治安の維持を可能にした。ムラ全体が談合体質の共犯関係であるが、それが結束力を強め、利益分配がおこなわれるので、能力がない者でも生きることが許されていた。
近年では、分断された社会を不安視し、多様な社会を目指す動きが生まれてきたが、無理な話だ。多様性を重視すればするほど、人々との間に分断が生まれる。分断を防ごうとすればするほど、多様性は生まれない。この二つはそもそも両立が不可能なのだ。今まで分断を防いでいたのは、リベラルな人々が毛嫌いしていた同調圧力というのは皮肉な話だ。
シノハラは、Y町にとっては異分子であり、排除される対象であった。ただし、極端に高齢化が進んだ地域では、年齢の若い移住者に特権が与えられることがある。2040年代の日本では、20年前に存在していた地方自治体の半数が消滅していた。生き残っている自治体の多くもインフラを維持するだけの余裕がなかった。このような現状で、シノハラの存在は貴重であった。単純な力仕事でも、高齢者がそれをこなすのは困難なことが多い。
シノハラは、終活をする高齢者の手伝いをした。終活業者はY町のような寂れた地方には来てはくれない。年寄りが処分するのに困る粗大ゴミを、シノハラは率先して運んだ。また、自治会長に頼まれ、町民の情報が載っているデータベースを構築した。町民の多くはY町が所有する車で買い物や通院をしていた。シノハラが町民のデータをまとめたことで、町民の送迎が効率的に行えるようになった。次第に町民はシノハラを信頼して重宝するようになった。「Y町のことはシノハラが一番知っている」と町民は冗談めかして言うようになった。
それから数年後、シノハラはY町の町長選挙に出馬した。自治会長の応援もあったが、他に立候補者がおらず、無投票で当選した。シノハラの公約は、若者をY町に呼び寄せ、近隣の自治体との差別化をはかるというものだった。高齢化が進む日本社会において、若者は貴重である。しかし、その貴重な若者は年寄りから搾取されていた。
2040年代の日本では、人口の3分の1が65歳以上で占められていた。民主主義と言いながらも、日本はすでに高齢者の独裁国家となっていた。民主主義において、数の力は絶対だ。今の若者が年寄りになったときに同じような特権を持てるはずもなく、現在の日本社会は高齢者のための限定的で、持続不可能的な社会になってしまった。寿命が尽きるまで逃げ切りをはかる年寄りに、若者や中高年は為す術がなかった。
技術的・思想的な進歩を拒否した高齢者によって支配された日本は、徐々に国際的に影響力を失いつつあった。一部の日本の若者は外国に移住するようになったが、保守的な民族性は変わらず、ほとんどの人間が不満を漏らしながら日本に居続けるのだった。ある米国の知識人はこのように皮肉った。「欧米諸国の多くは、移民を実質的に奴隷にして自分たちの豊かな暮らしを維持している。それに比べて、日本は同じ日本人を奴隷にしているだけまだ良心的だ」
シノハラは次の選挙でも無投票で町長に再選した。前回と違うのは、シノハラは町会議員に三十代の男性数人を立候補させて、当選させていたことだ。昔から地方議員のなり手はおらず、今では定員割れの地方も珍しくはない。
今回当選した町会議員の経歴は、元ひきこもりやニート、ワーキングプアだった。今の日本では働くことは軍隊と同じで命の危険性が高い。過労死かパワハラで追い込まれて自殺する者が多かった。ただ、軍隊と違うのは遺族年金などの補償がないことだった。一部の経営者からは、非正規雇用の人間は二流市民と呼ばれ、労働基準法を適用する必要がないと言われるほどだった。
二期目のシノハラは、外貨を稼ぐことに注力した。日本は円安が進み、1ドル200円を突破していた。日本の人件費は相対的に低くなっており、中国企業を始めとする多くの海外企業が日本に工場を作るようになった。日本政府も日本企業も安い人件費だけで国際競争に挑み、いつしか日本製はチープジャパンと呼ばれるようになった。
日本の労働者は、多額の税金と社会保険料を払わなければならないため、いくら働いても手元に残るお金は少なく、誰も消費できずに内需は縮小する一方だった。税金の多くは、高齢者に分配されるために経済が活性化することはなかった。
シノハラを支援していた自治会長が、亡くなった。町の有力者も次々と亡くなった。彼らのほとんどが80代であり、町民は日本の高齢化が進んでいることを痛感した。これをきっかけに、シノハラと新しい町会議員になった者たちが、Y町の町政を名実ともに仕切るようになった。
204✕年、シノハラはY町を独立国だと世界中に宣言した。同時に、同じ県内にある原子力発電所も制圧したと発表した。武器も食料も潤沢に備えており、自衛隊および警察がY町や原発に侵入することが判明すれば、Y町にいる住民を処刑すると伝えた。処刑の対象となる者は、公共事業で談合に関与し不当に富を得ていたとして、シノハラはその証拠となる音声データを公開した。
シノハラは世界中に向けて動画サイトでこのように述べた。「我々は、高齢者による独裁政治体制に激しく抗議する。赤ん坊から中高年に至るまで高齢者の奴隷である。我々が老いたときに残されているのは、膨大な借金と荒れた国土だけだ。我々は今まで老人に奪われた富を取り返す。そのためであれば、あらゆる手段を行使するだろう」
日本政府は常に有事の際には決断力がない。それは日本人全般にも言えることで、自国の問題であってもどこか他人事だ。日本人はよく自分の国を「この国」と言う。客観的に見ているようなふりをして、ただ自分事と捉えたくないだけだ。自分事と捉えた瞬間、責任が生じてしまう。だから、誰も決めない、決めたくない。シノハラたちが、武器を大量に保有していることに懐疑的な人々は多かったが、誰も責任を取りたくないため、表面的には人命を優先するとして静観するだけだった。
SNSでは、シノハラの宣言した独立国を『無敵の国』と呼ぶ者が急増した。海外メディアや各国首脳も正式名称ではない『無敵の国』という国名を使うようになった。日本の大企業の本社ビルや銀行が襲われる事件が増えた。富を奪い返した者が日本国に追われた場合、亡命者として無敵の国が受け入れると発表した影響があったのだろう。無敵の人を受け入れることで無敵の国はますます強大になった。
シノハラは日本各地に第二第三の無敵の国を作るように奨励した。無敵の国が滅びても別の無敵の国が生き残れる。さらに言えば、無敵の国は領土を持つ必要すらない。シノハラは領土はもはや時代遅れの概念だと思っていたが、Y町を国土にしたのは古い価値観をもつ人間をこの戦いに巻き込むためだった。
シノハラはもう一つ手を打った。Y町にある中国資本の工場を守るために、中国政府に中国人民解放軍の駐留を要請したのだ。工場と言っても大した規模ではなかったが、日本政府や日本国民に決断を迫るための口実として利用した。また日本国による人民への人権蹂躙を守るためという名目で、ロシアや北朝鮮には武器の援助を求めた。
米国政府はこの事態に対して意見が真っ二つに分かれていた。米中で太平洋を分け合おうとする一派と日本を中国の防波堤にするために支援する一派である。しかし、肝心の日本政府が何も決められないため、在日米軍は動くことができない。いたずらに時間が過ぎ、次第に米国政府もさじを投げた。
「このような出来事は、いずれ米国や欧州でも起こり得る」とシノハラは思っていた。米国では白人の人口比が5割を切り、非白人との対立が増加している。欧州ではイスラム系移民の人口が爆発的に増え、反イスラムの声が高まっている。日本では、高齢者と現役世代という同じ人種、同じ文化圏の対立なのでむしろ犠牲は少ないだろう。
戦争によってこそ、経済格差が縮小することは歴史が証明している。格差社会の象徴である米国でさえ、1940年代には戦争のために90%近い累進課税をかけた結果、格差の小さい社会が実現した。21世紀初頭、フランスの経済学者のT・ピケティは、世界全体で累進資本課税制度を設けるべきだと主張したが、各国の思惑があり、実現できずにいた。
格差を解消させるためには、血を流すしかない。一方、平和を維持したいのであれば、格差を許容せざるを得ない。しかし、それは幾多の奴隷の犠牲によって維持される平和だ。誰かにとっての平和は、誰かにとっての地獄である。そして、シノハラたちは地獄の側にいた。
パソコンのディスプレイだけが煌々と光る暗闇の部屋にシノハラはいた。彼はそのディスプレイに向かって話しかけた。「あなたが美味しく食すそのステーキは、我が同志の肉である。あなたを心地よく酔わすワインは、我が同志の血である。今度はあなたにババを引いてもらう番だ」
シノハラは部屋を出て、次に処刑する元町民のもとへと向かった。
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現実の世界情勢を踏まえてなかなか刺激的でした。ある意味、露悪的でバッドエンドも辞さない熱量がかえって心地よい気もしました。
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