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短編部門 03 その打球はスタンドへと

その打球はスタンドへと

ペンネーム:望月やも

メジャーリーグで活躍する大谷翔平の姿をテレビで目にするたび、野球少年であった昔の私の姿をふと思い出す。
そして、その心象は速やかに霧散し、「大谷翔平ほどのスケールは望めないだろうけれども、俺にも今とは違った人生があったのかなぁ」などという手垢にまみれたような生温い感傷が滲出してくる。
そんな私を後目に、テレビ画面に映る大谷は打席に立ち、集中した後、バットを素早く振るう。
悪球は力強く打ち返され、端正な放物線を描き、迷うことなくバックスクリーンへと向かっていく。

夢のつづき、そんなものが一体どこに存在するだろうか。
夢から覚めてしまえば、もう二度とそこへは戻れないだろう。
なにがしかを知ってしまった者は、戦略的な無知を装うことはできるものの、恣意的に記憶を忘却することは不可能だ。
覚醒と言えば聞こえは良いかもしれないが、それはかつての夢との断絶に等しい。
あるいは、夢見が出来ぬ体質への移行を告げるサインとも言えるだろう。
そこには第二次性徴における戸惑いのような、交錯した心模様が内包されている。
所謂大人が「こども」という属性を殊更に賛美するのは、無常に抗うことによる疲弊がもたらすイノセントな感覚への憧憬ゆえだろう。
夜ごと数多の夢が葬られ続けることで、人はまた今日を生きることを許される。
そうした日々の再生産を呑気に眺めていると、幾ばくかの責務らしき感覚が生じてくることに気付く。
だが、それに対して義理堅く応えてきた、と胸を張って私は言えるだろうか。

大谷翔平の速報を目にするたび、ぼうっと、そんなことを思うのだ。
しかしこの世界は、そんな静寂に渦巻くノイズに干渉されることもなく、見事なまでに流暢な運動の繰り返しを絶やすことなく続けている。
ふと我に返った頃には、大谷の姿はどこにも見当たらず、私はいつものように静かにテレビを消す。
そして大谷翔平は、明日も多くの人々に夢を与えることだろう。
 




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Opinions

  1. Post comment

    たしかに大谷翔平は浮世離れしていると思えるほどの活躍で、一周回って自分のことを考えてしまう感じはよくわかります。子どもの頃に帰らされる、という感じでしょうか。でも比較にならないほどの活躍なので、そこまで自分に後ろめたさを感じず、引きずらないのも良い感じです。

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