グロテスクなハッピーエンド
ペンネーム:うさみん
母親が死んだ。八十七歳だった。
これで私は頼る人のいない孤立無援の立場となった。
こうなることは予測できたのだから、いっそのこと殺してくれれば。心中してくれればよかったのに。
これから私はどうやって生きていこう?
もしくはどうやって死のう?
生きるのなら幸せにはなりたいと思う。
人生の意味は人それぞれだけど、私個人としては幸せになるために生まれてきたと思っている。
逆に言うと、幸せになれなければ生きる意味はないと考えている。
私は幸せになれるのだろうか?
……今の自分と今後について考えてみる、
ずっと頼ってきた母親が死に、父親はすでに死んでいる。祖父祖母も同じだ。頼れる親戚はいないこともないが、対して付き合いのない親戚に頼るのは私自身プライドが許さない。
死ぬか。
今まで幾度となく考えた自殺を本気で実行する時がきた。
自殺するにあたって最適な方法は首吊りであると聞いている。手近に紐をかけられる場所はある。過去、何度も何度もそこにロープをかけた。
ロープの結び方をネットで調べて実行。体重がかかってもちぎれたりほどけたりしないように頑丈にしなくては。
作った紐をひっかけた。それから足場を作る。
試しに首を通してきちんと死ねるかどうか体重をかけてみたが平気そうだった。
よし、いこう。
「今までありがとう、世界。本当に本当に最悪な世界でした」
次の瞬間。
私の意識は闇に溶けていった。
「今どういう状態?」
「首吊り自殺をして脳に酸素がいかなかったから脳の機能が壊れてしまったけど、体は元気なの」
「植物人間だね」
「そう。夢を見ているようで顔が笑ってる」
家族たちに囲まれている。両親と配偶者、それに二人の子供。大人たちは談笑しながら食事をしていて、子供はゲームをして遊んでいる。
お金に困らず、病気もせず、人生を謳歌している。よくある家族団らんの風景だけど、とても満たされた感じがする。
私は誰に言うでもなくつぶやく。
「とても幸せだなあ」
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サッチャー元首相の「英国には社会なんてものは存在しない。あるのは個々の男たちと女たち、そして家族である」という言葉を思い浮かべました。家族の中に閉じこもらざるをえなかった状況、そしてその家族が失われた際の絶望。孤立無援、まさに社会なんてものはなかったのではないでしょうか。時はくだり現代、コロナウィルスに感染しその後生還した際、ジョンソン首相は「社会というものがまさに存在する」と語りました。連帯への再考が問われる中、家族に囲まれて幸せを感じているエンディングには、とても複雑な感情を抱かされました。
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この短編という枠でこそ出る勢いみたいなものを感じました。たしかにグロテスクなハッピーエンドですね。読む側のタイミング、メンタルにもよりますが、グロテスクなものって良いですね。
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