引きこもり文学大賞 本編部門05
作者:スティルトン・ガスペロー
この部屋のなかで、他のなにより必要なアイテムはと問われれば、迷わず「一級の遮光カーテン様」と答えるだろう。
その名の通り外界の光を遮ってくれる遮光の神様は、朝を知らせる光も、快晴の午後の光も、酔いどれ時の街灯の光さえ、一切この部屋のなかへ呼び入れることはしない。神に時間という概念を預けたきり、僕には昼夜逆転という感覚すらもはや存在しないというわけだ。
有難い。その次はと問われれば、「パソコン及びその周辺機器御一行様」とでも答えようか。読書好きとしては、「本棚に並ぶ諸先生方」と答えたいところだったが、物書きを生業にしようとする僕にとって、詰まるところネット環境がなければ情報や資料を得ることも出来ず、ひいてはそのエネルギー源となるカップラーメンひとつ手に入れることさえ儘ならない。一旦の孤独死を防ぐには、やはりここは「パソコン及びその周辺機器御一行様」のランクインが妥当だろう。
ガタン、ピッという玄関先の物音は、「置き配殿」というここ数年で一気に主流となった配送システムで、僕の元へ何かが届いた合図だ。思い当たるのは数日前にメルカリで購入した、ほぼ未使用トランクス5枚セットだった。雑多に置かれた箱をドアの隙間から左腕だけでパッと掴み取り、貼られた送り状伝票を見てみると、どうやら中身はトランクスではなさそうだった。
クール便で、依頼主の欄にはアルファベットで〝K・E〟と書かれていた。何より箱の重さが、トランクス5枚分の重さの数十倍はありそうだった。発泡スチロールの蓋に何周にも巻かれたガムテープを丁寧に剥がしながら、何故だか脳内では、誰かが漁港の低温卸売市場で競り勝った、カチコチのメバチマグロが御目見えするような錯覚に陥っていた。そしてその数秒後、僕は驚愕していた。想像通りの大量のドライアイスと共に、確かにカチコチの何かが入っていた。それはどんなに目を凝らして見ても、切断された人間の右手だった。
咄嗟に僕は、普段ほぼ気にかけないようにしている今日の日付を確認した。ハロウィンだった。
余りに嘘くさくて、妙に冷静にカチコチの右手を眺めていた。しかし、こんなユーモラスな悪戯を仕掛けてくるような友人も思い当たらず、もしくはこんな嫌がらせをされるような関わりを外界で持たない僕は、いよいよ遅れて恐怖心が込み上げ、数分の時差をもって尻餅をついた。見れば見るほど、本物の人間の手だった。
思えばこの日の僕は二徹明けで、頭がずいぶん冴えていた。お陰でいち早く違和感の正体に気が付いた。クール便が、置き配殿で届けられるはずが無いではないか。つまり犯人は、ついさっきこのドアの前に立っていた。送り状伝票をもう一度確認するとやはり、配送業者の判子も無く、センターを通過せず此処へやってきたことは明白だった。
と、ここまで推理したところで、ドアから飛び出し、辺りを走り回って犯人の姿を追うことなど、僕には出来ない。何故ならもうかれこれ五年か六年、いや七年間程、この部屋から一歩も外界へ出ていない。遮光の神や先生方に見守られながら、この天国のような空間で何の不自由もなく暮らしてきたのだ。今更、切断された人間の右手が届いたくらいで、この世界を壊すことは出来ない。また、誰かがこの部屋に立ち入ることも断固拒絶したい僕にとって、警察に通報するという選択肢も、一瞬浮かんで秒で消えた。
ともなれば、やることはひとつしかない。保管だ。
さっそく、小型冷蔵庫に付す申し訳程度の小さな冷凍庫のなかを覗いてみた。ずいぶん霜取りをサボっていたせいで、本来の容量の半分しかないものの、幸い空っぽだった。出来れば箱に入れた状態で保管するのがベストだが、入りそうにない。意を決して、僕はカチンコチンの右手を直に掴んだ。見ると触るでは、思いのほか衝撃度合いに歴然とした差があり、小学生のときにやらされたドッヂボールという不愉快極まりない球技で、目を瞑ったままおかしな方向へ投げたあのボールのように、誰かの右手は宙を舞い、弧を描き、そしてあろうことか二徹で書きあげた原稿データが開かれたままのパソコンのキーボードの上に、ゴスッという鈍い音をたてて着地した。僕はこの時になってはじめて、喉の奥が詰まったような変な叫び声を上げたのだった。
その右手が、今にもカタカタと文字を打ち出しそうな具合に、キーボード上で自然体だったことが恐ろしかった訳ではない。二徹の努力の結晶データが失われてやしないかという、現実的な恐怖だった。
僕はおそらく物凄い形相で、表面が若干濡れ始めヌルッとした右手を、まるで雨の日突然別れを告げる恋人の手を強く抱き寄せるようにして、経験はないがきっとそんな感じで、離さないようガッチリ掴んで冷凍庫のなかへと恋人の右手を放り込んだ。
きっとほんの数分間のことだったが、ずいぶん達成感があった。
急いで確認した結晶データも無事、原稿の最後に〝おお〟という二文字が加わっているだけで済んだ。キーボードは僅かにまだ冷んやりと湿っていた。
こうして僕は、数日前に起こったこの出来事を、さっそく有難く公募に出す原稿のネタにして執筆している。この狭い部屋のなかで生活し続ける僕にとって、現実世界のなにかをもとに文章を綴ることは、皆無といっても過言ではない。この数日間、切断された人間の右手を僕の元へ届けた犯人について、あれやこれやと想像してみたが、やはりどんなに記憶を遡っても思い当たる人間はいなかった。
そして、もしかすると犯人は、あまりにも閉鎖的な世界で物書きを志す僕のため、日頃使いどころのない恐怖心や咄嗟の判断力といった部分を刺激しようとしてくれた「天使」だったのではないか、と思い至った。
有難い。その名の通り天の使いである天使は、いつだってこの部屋の天井を突き抜けて、上空のまた遥か上の何処かから僕を見守ってくれている。
ガタン、ピッという玄関先の物音は、「置き配殿」の合図だ。僕はいつものようにドアの隙間から左腕だけで箱を掴み取り、ゆっくり丁寧に開封していく。待ちに待った、ほぼ未使用トランクス5枚セットだ。
鏡の前で半裸の僕は、新しい紺色のトランクスを身につけ、その痩せ細った真っ白い全身を、天井から吊るされた青い昼光色の明かりのもとに照らし微笑んでいる。