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文学大賞 本編部門27 こちら社会不適合者第二号、副隊長応答どうぞ。 作者 中川マルタ

引きこもり文学大賞 本編部門27

作者:中川マルタ

部屋から出られなくなったあたしを引きずり出そうと、おとうさんが何度も扉を叩くから、ある日にあたしの片耳が聞こえなくなった。
会社を適応障害で辞めて、なんにも必要な手続きが出来なくて、貯金は減り続ける一方で、年金払えよって催促ばっかりが沢山来た。友達に相談しても、「次どうするの?」って聞かれる事が多かった。
会社を辞めてから夜は寝られなくなった。メンタルクリニックも、先生が怖くて行けなくなった。最初は家のリビングでただ映画を観て過ごしていたけど、おとうさんが「働いてもいないくせに飯もつくらない」と言って、そこから部屋から出るのをやめた。トイレと最低限の食事以外は部屋から出なかった。私の部屋は、元々ひとつの部屋を無理やり二分割にした、ほんとに寝るだけのスペースしかない所だった。かび臭くて、寒くて、光がない部屋にずっと寝っ転がっていた。

「おうい、もう朝!」

「おうい、飯!」

あるときからおとうさんが意味の分からない言葉を繰り返して部屋をガンガンと叩くようになった。ほぼ毎朝だった。あたしは朝に眠るのに、だ。おとうさんは自分が起きたらとりあえずあたしの部屋をノックした。その時に聞こえるスリッパの音も、ノックされる音も嫌で、耳栓の代わりにイヤフォンで耳を塞いで音楽を聴いていたら、片耳だけ真空になったような感じがして、ぱちぱちって気泡が小さく弾ける音以外、右耳からはほぼ何も聴きとれなくなった。真っ暗闇な部屋の中でパニックを起こしたけど、誰にも知られたくないっていう気持ちで頭がいっぱいになった後に、ただ静かに泣いて、「死ぬべきなんだ」って思った。LINEを開くと、家族のグループで長女が私を非難していた。おとうさんが長女にあたしのことを話したらしかった。

「おまえはいつもそう、言いたいことはちゃんと言え。理解されたいなら自分が動かないと」

そんなことがつらつら長文で書かれていた。なんであたしがこんなに苦しんで、お前たちがのうのうとあたしに説教垂れてるんだろう。幸せでいいね。じゃあお前たちが死んだらいいのに。家族全員に明確に死んでほしいと願ったのはこの時が初めてだった。

そのLINEに返事をしないで、もう一人の姉に連絡を入れた。

『耳が聞こえない。右耳』

姉からの内容はこうだった。

『いよいよ手帳持ちかね。職探しは難航するのかもな』
 
 
なんで、この期に及んで仕事の話しかしないんだろう。助けてくれよ、本当に。
泣きながらネットで症状の検索をした。

“片耳、突然聞こえない”
調べると、あたしのこの症状が突発性難聴であるらしい事が分かった。どのサイトにも「手遅れになる前にすぐに受診してください!」と書かれていたから、焦ってすぐ近くの耳鼻科に電話をした。
「はい。〇×クリニックです」
「あの。今日の朝、起きたら右耳が聞こえなくて、す、すごく困ってて」
「そうですか。でしたら予約フォームからご予約お願いいたします。予約した順番でのご案内です」
「あの、今、聞こえなくて、こ、困ってるんです」
「はい。ですから予約フォームからお願いいたします」
それ以上話が進む事が無かったので、予約フォームを見ると、最短で二日後の受診だった。
全世界が自分に「あ~残念だったね、死んだら?」と言ってるみたいな悲しさがずっとあって、あたしはまた泣いた。電車で十五分くらいの場所に、次の日の朝イチで診てもらえそうな場所があったから、急いでそこを予約した。明日診てもらって、治らないって分かったらもう死ぬか。そう決意していた。泣いてるうちに眠くなって暫く眠った。

※※

次に目を覚ましたときはもう夜の十二時だった。おとうさんがこの時間に起きていることはまずないので、とりあえず部屋から出て、トイレに行ってから、リビングに行って食べられそうなものを食べた。右耳からぱちぱちって音がずっと聞こえていて、それ以外の音は遠くに聞こえる。色々済ましてから自分で死ぬ方法をスマホで調べていると、二階から誰かが下りてくる音がした。おとうさんじゃないのが分かってたから、べつに冷や汗をかかなかったし、心臓がおかしくなることもなかった。
「よっす」
「あ……ぇち、あう?」
社会不適合第一号、隊長。我が兄。
坊主頭のビール腹。
ろう者。
引きこもり歴、私より長め。
「飯ね~、そこだよ」
あたしはキッチンに置かれていた飯の残りを指差した。
途端に「ああっ」と言って、隊長は手を上げた。”ありがとうございます”のジェスチャーだ。彼はすぐに食事に取り掛かった。茶碗に飯をよそって、ちゃぶ台の傍で胡坐をかいた。冷たいおかずを口に放り込んで、くっちゃくっちゃと音を立てて咀嚼する。流れでテレビをつけた時に、隊長の補聴器がきぃぃぃんと高い音を上げた。
あたしはソファーに座って、世界中の絶景を紹介する番組を無音で見ていた。字幕があれば充分だった。
「いったこお、あう?」
隊長が右手で箸を持ったままテレビを指差して、私を見た。
番組は、バリ島のウルワツ寺院のことを紹介している所だった。
「ないな」
あたしは大きく首を横に振る。
海外には小さいときに住んでいた以来、行ったことが無かった。
「ぉえ、あゆよ」
「ここに?」とあたしが指差すと、隊長がこくこくと頷きながら「ん!」と言った。彼はかつて、おとうさんに次ぐ稼ぎ頭だった。だからバリ島にだって友達のつてで行けたのだ。アメリカとかにも行っていた。(アメリカでは和田アキ子に会って握手を求めて拒否されたらしい。)経緯はもう忘れたが、仕事を辞めてからはそんな場所に行けるはずもなく、今はほぼ家で過ごしている。たまに支援センターに行って面談することもあったが、今の彼にはあたしと同じで、就職しそうな気配が全くなかった。
「ふ~ん」
あたしは適当に返事をして、テレビ画面を見続けた。ふ〜んは、声量的にも口の動き的にも隊長には伝わっていないけど、別によかった。
時計を見ると、もう一時を回ろうとしていた。どうせ寝れないけど明日は診察だし、嫌な音を聞いて両耳をやられる前に部屋に戻る必要があった。
「じゃ」
手を上げて隊長に挨拶すると、彼も同じように手を上げて、またテレビに視線を戻した。
部屋に戻った瞬間に、おとうさんのスリッパの音が聞こえて、すこし心臓がおかしくなった。イヤフォンで耳を塞いで、適当な音楽を流してやり過ごした。暫くすると、あたしの隣の部屋から音が聞こえた。隊長が帰還したらしい。すぐにLINEの通知があった。開くと、新作ゲームのリンクがつけられた後に「これほしい?(笑)」と彼の言葉があった。
「ほしい。でも金が(笑)」
そう返すと、あたしの頭上にあるスライドドアの向こうで、「へへッ」と笑う声があった。

「お前、死ぬつもりなん?」
次の日の昼くらいに姉から電話があった。手帳持ちかな、と言ってきたあの姉が。
「みんなに責められる。もう死にたい」
あたしはそう言った。その時点でドバドバ涙が溢れて止まらず、殆ど聞き取れないような言葉を喚き散らしていた。医者から受けた診断はやっぱり突発性難聴で、絶望感は朝日と共にやってきた。姉は暫く黙った後に「お前がこんなになるの初めてだな。うちに来たら?
いつまでもそんな暮らしするよりはマシだろ」と言った。
あたしが返事に困っていると、「飛行機取るわ。すぐ来い」と言われ、三日後の飛行機で宮古島に行くことが決まった。おとうさんには何も言わずに行くつもりだったが、なぜか実家での最後の夜に「宮古島行くんか!? は!?」と大声で言われた。耳が片方聞こえないのに、ほんとうにうるさくて泣きそうになった。適当に頷いてやり過ごした後、そこから一睡もしないで始発の電車に乗った。羽田空港には出発の三時間前には着いた。
この空港に来るのは高校生以来だった。
キャリーケースを持った大勢の人が、なんだか活力に漲ったような顔をして楽しそうに歩いていた。それで急に、あたしは何かから開放されたような気持ちになった。これから一人で、誰にも邪魔されない所へ行く。それが嬉しかった。
搭乗の直前、ゲート付近に停められた複数の飛行機の写真を撮り、隊長に送った。

「これからどこに行くと思う?(笑)」

彼からはすぐに「すご(笑)」と返事があった。




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