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文学大賞 本編部門33 ジシバリと自縛り 作者 ふき

引きこもり文学大賞 本編部門33

作者:ふき

「わかった、わかった!」「あ、やっぱり違った!」

大きな独り言が聞こえてくる。母の声だ。私は気だるい身体をようやく奮い起してベッドから立ち上がった。
声に呼ばれるように台所へと向かうと、庭につながる奥のガラス戸が開きっぱなしになっている。ガラス戸から外に顔を出すと、声の張本人と目が合った。

「これを見て。ようやくわかったの」

母は小さな植木鉢の前で本を片手にしゃがんでいた。
私は庭に出るためにサンダルを履こうとすると、母は私を押し返すかたちで台所に戻ってきて本を突きつけた。小さな植物図鑑だった。

「アラカシだと思ってたけど、シラカシだったってわかったの。でもやっぱりアラカシのような気もするんだけどね。もしくはウラジロガシかも」

それはわかったとは言えないのではと内心思いながらも、何についての話をしているのかわからなかったのでよくよく聞いてみると、以前に植えたドングリが春になって芽生えたので、葉の特徴から種類を見定めようとしていたらしい。
母は昔から山中や道端で種子を拾ってきては鉢に植える習慣がある。小さな庭にはそんな植木鉢たちが所狭しといくつも並んでいる。ただ母はどこで何の種を拾い、どの鉢にいつ埋めたということはほとんど把握はしていないようだった。さながらドングリを拾って埋めた場所を忘れてしまうリスのようである。

私は実物を見てみるために、渡された図鑑を持って庭に出た。
未だに外に出る瞬間は抵抗感があった。他人の視線をどうしても気にしてしまって、身体がこわばるような感じがある。
ただ私の興味は外に向きつつあった。最近は庭の水やりが日課になりつつあった。なかなか朝早くは起きられないので昼頃になるが、なんとか毎日続けていた。今までは気力がなくてなかなか続けられなかったが、どうにかして克服したかった。

昔から何事も続かなかった。ひきこもりの生活が長引くと、いつしか好きなことさえも続けられなくなった。本は読めず、映画も観なくなった。夜はなかなか寝付けず、朝に起きることさえも続けられない。まともな生活ができていなかった。頭の中ががんじがらめに縛られているようで、何もしてないはずなのに、締め付けられる日々だけが続いていた。

図鑑によると、コナラ属のどんぐりの見分け方は葉のギザギザや縁の波打ちにあるらしい。ただし母の植えたどんぐりはまだ幼くて、しっかりとした見分けがつかなさそうだった。
私はドングリの正体よりも、隣の植木鉢の隅に咲いた小さな黄色い花が気になっていた。

「どっちかはわからないけど、横にジバシリが咲いてるね。雑草の花」

「それジバシリじゃなくて、ジシバリね! ジ・シ・バ・リ!」

「そうそう、それそれ。ちょっとカメラを取ってくる」

私はそうごまかすと部屋へと向かった。ジシバリをジバシリと呼び間違えたことに恥じらいを感じていた。
社会から離れて途方もない時間だけが過ぎていく中で、わずかに根付いた草花の知識。そんな知識をどこかで誇らしげに思っていたことに気づくと更にまた恥ずかしくなった。

(根っこを地に縛るから、地縛りと書いて「ジシバリ」。そう覚えていたはずなのに・・。どうして何でもすぐ忘れてしまうのだろう)

以前と比べて記憶力が落ちた気がする。でももとから悪かった物覚えが顕著になっただけな気もする。だからこそ記録を残せるカメラには助けられていた。写真として一瞬を切り取って留めてくれる。
外に出るきっかけにと始めた趣味のカメラは、かろうじて続いている唯一とも言えることだった。撮った写真を誰かに見せるわけではない。ただピントがあった写真が撮れたときはそれだけで嬉しかった。だから被写体の対象になりやすい草花の知識は増えていった。

(でも呼び間違えた方の「ジバシリ」という名前も、地を走るという感じでかっこいいじゃないか。縛られているよりも、自由に走れた方がいい)

なんとか前向きに考えようと思った。ただそんな風に考えているからなのか、余計に記憶がごちゃごちゃに絡まっていて、頭の中で瞬時に正しい呼び方がわからなくなるのが常だった。

「そういえば、ジシバリだったね、ジシバリ。言い間違えてた。地を縛るように殖えるから、ジシバリっていう風に覚えていたはずなのに。なんで忘れちゃってたんだろう」

私はカメラを持って戻ってくると母にそんな言い訳をして、ジシバリの写真を撮った。ジシバリは風に吹かれて小刻みに揺れていて、なかなかピントが合わなかった。

それから庭のあちこちでジシバリの花を見かけるようになった。庭奥の洗濯干し場から庭外の門扉の付近まで広範囲に花を咲かせて私を楽しませてくれた。
ただ咄嗟に名前を呼び間違えそうになる癖は未だに抜けなかった。「地を縛るから・・ジシバリ!」と見つける度に唱えながら水を多めにあげていた。

一度は私を感動させくれる発見があった。というのも、私はジシバリというのはその名の如く、地面を縛るように根をはったり、地下茎を伸ばして新しい株を増やすものだと思っていた。だからどうして植木鉢をまたいであちこちに芽吹くのかが不思議でたまらなかった。そんなときに、ジシバリが花の跡に綿毛をつける姿を見つけたのだった。ジシバリは綿毛を飛ばして庭のあちこちに広がっていたのだ。

(こいつは地に縛られているくせに空を飛べるんだ)

この発見は私の心をまことに動かすものだった。私は綿毛に向かって何度もシャッターを切った。この感動を写真のように切り取れたら、どんなに素晴らしいことだろうと思った。こうした思いを常に心を持ち続けられたら、これから一途に生きていけるかもしれない。その瞬間はそう強く思えるほどに心が満ちていた。

しかし秋が近づく頃なると、私はまたひきこもりの生活にほとんど戻りかけていた。日々の水やりは週に一度やれるかどうかとなり、徐々に庭に出る習慣は失くなりつつあった。
いつもこうだった。どうしても気力が湧かず、何事も続けられない。根っからの怠け癖にはほとほとうんざりしていた。ただ庭に出るだけなのに、一体何に囚われて、何に縛られているんだろうか。前に撮った綿毛のジシバリの写真は見返す気力もなく、SDカードの中に残ったままだった。

(私という奴は、どうして感動を糧にして生きられないのだろうか)

ふと以前どこかで聞いた「雑草というのは、望まれないところに生える草のこと」という言葉を思い出す。望まれないというのはなんとも残酷な言葉だ。胸のうちにずっしりとくるものがあった。私はそんな思いをなんとか振り払って庭に出た。

もう夏頃から庭でジシバリの花は見られなくなっていた。しかしまだジシバリの枯れた茎だけが残っている場所があった。それは洗濯干し場の隅に置かれたシンピジウムの植木鉢の中で、屋根付きの下だから雨風を避けられるためなのか、風化せずに残ったままだった。

私が植木鉢をのぞきこむと、花も綿毛も落とした茶色の残骸となったひょろひょろのジシバリの茎が、シンピジウムの長く伸びる葉をかき分けるかのように立っていた。陽の光がちょうどジバシリにだけ射し込んで、まるでスポットライトを浴びているかのようだった。
この枯れた茎の下で、今も地を縛って根を張っているのだろうか、それとも地下茎を走らせているのだろうか。私はそこから何か心に残るものをつかみとりたかった。

しばらくジシバリを見つめていると母に声をかけられた。

「何を見てるの?」

「うん、ジバシリ、じゃなくて・・。そう、ジシバリの残骸が残っていたから珍しくて」

「へえ、春に咲く印象があるのにね」

「いや、花じゃないんだけどね」

「ここに咲いてる花がそうじゃないの?」

「えっ」

母が指差す方を見ると、なんとジシバリの花があった。そこは私が先程通ってきた道だった。ジシバリは二つの鉢に挟まれて、敷石の隙間にひっそりと咲いていた。

(どうして自分で見つけられなかったのだろう)

そんな思いがよぎったが、そのおかげで私の気持ちに応えるかのようにジシバリが現れたという気持ちは抱かなかった。
忖度なしに咲くジシバリの姿は、ただただなんとも美しいなと思った。

「ちょっとカメラを取ってくる」

私は母にそう伝えると部屋にカメラを取りに戻った。

ジシバリというのは、地に根を縛りながら、走ったり、飛んだり、季節外れに花を咲かせたりと、あちこちで自由にやっている。
それに比べて、私は本当に細かいことに縛られすぎだ。自分のことばかりを気にして、自分で自分を縛ってしまっている。私は、私は・・。

(自分縛り!! 自分縛り!! 自縛り!!  自縛り!!)

「ジシバリ!!」

ようやくしっくりする言葉で呼べた気がした。もう間違わないといいのだけれども。

 




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Opinions

  1. Post comment

    命の一つひとつに物語を見出す目をお持ちなのですね。撮られたお写真を見てみたくなりました。
    使われている言葉が素朴でありながら洗練されている印象なので、メッセージ付き写真の写真集があったら素敵だなあ、と妄想してしまいました。

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