文学大賞 本編部門02
作者:非常口ドット
「ぼちぼち帰るわ。」
本日八回目の帰宅宣言とともにタッコさんがイスから立ち上がる。
「もう昼ご飯食べるからここに居たら?」
僕がそう返すとタッコさんは納得したように座る。
「そうか?ほんなら、よばれようかな。」
昼食前に八回は珍しい。いつもなら二、三回帰ろうとするだけなのに、今日は結構そわそわしている。きっと何か感じるものがあるのだろう。
早く母さんが帰って来てくれないかな。今日はパートを早上がりするって言ってたから、十三時には帰ってくる筈だ。
「ソウハチは今日仕事ないんか?」
「今日は母ちゃんが来るから会社休んだんだ。」
「そこまでしてもろて、悪いわぁ。」
タッコさんは申し訳なさそうに頭を下げる。
この会話も今まで何回しただろうか?おそらくは何百回、下手すると何千回だ。
昔は「僕はソウハチの息子のシュウタだよ。」と訂正していた。しかし、その場では納得しても五分後にはソウハチと呼ばれるので、すぐに話を合わせるようになった。
もうかれこれ四年この生活を続けている。平日の昼間はずっと二人だ。
タッコさんの面倒を家で見ることになった時は、正直に言うとすごく厭だった。
昔から大好きなおばあちゃんで、お手製の砂糖たっぷりフレンチトーストは今でも食べたくなるし、よく連れて行ってくれたプールは、夏休みの楽しい思い出だ。
ただ、いくらおばあちゃんが好きでも、それまでの自由な生活を壊されるのが厭で厭で仕方がなかった。日中は自分が介護することになるだろう。そして何よりも一人で居られる空間、唯一落ち着ける時間を侵されるのは御免だった。
しかし、僕がいくら反対でも、両親の決定には逆らえない。多少は文句を言ったけど「お前は働いてないんだから、母ちゃんの介護ぐらいしろ。」とか「厭なら家から出ていったら?」とか言われたら終わりだからだ。
まぁ、現実にはそんなことは言われず「悪いけどシュウくん、お義母さんのことお願いね。」と母に頼まれただけだ。
言い方は悪いかもしれないがタッコさんはあまり手がかからない老人だった。
母の作り置きを昼に出して、薬を飲むのを見届け、日中に数回トイレの声掛けをするだけだ。
普通に歩けるし、なんだったら走れる。ゴキブリを見つけた時のタッコさんの素早さといったら獲物を見つけた猫くらいのスピードだ。鬼の形相であっという間にスリッパを持ってきて叩いてしまう。
介助が必要なのは声掛けとか見守りとかの部分で、タッコさんがうちに来た理由も、幾度となく町を彷徨い警察に保護されたからだった。
それもテレビで時代劇を流して、一日数度帰ろうとするのを留めたら、特に問題はない。ほぼリビングのイスに座っているだけだ。
最初は色々と戸惑ったり、手間取りもしたけど、この四年間で大分慣れた。もはやタッコさんの介護は日常の一部だ。
確かに、自分の部屋にこもり切りだった頃に比べるとやる事は多くなった。それでも今はタッコさんに感謝している。
以前までは「できるだけ早く働いてほしい。」と言っていた両親が「家で面倒を見てくれてありがとう。」と言うようになったからだ。それに、自分以外の誰かがいるという生活も意外と悪くない。
タッコさんは中学校教師だったお祖父ちゃんの家に嫁ぐために、大阪から東京へ出てきた。
その後は夫婦で協力しながら、僕の父を含めて八人の子どもを育てた。八人もの子育ては、それはそれは苦労したそうだ。
子どもがみんな一人立ちしてからは「忙しくしていたい。」と言ってお菓子工場でパートとして働いていたらしい。
昔から穏やかで優しい人だった。今でも性格は変わらず、僕が間違ったことを言っても絶対に否定しない。
タッコさんと話すと、大体は子育てが大変だった話かお菓子工場の話になる。数分前に話したのを忘れて全く同じ話をするなんて、ざらにあることだ。
不思議なもので、同じ話ばかりでもこちらの返し方によっては新しいエピソードが出てくることもある。違う話を探り当てられた時はちょっと嬉しい。ただ最近は会話が噛み合わなくなることが増えてきた。
「ぼちぼち帰るわ。」
九回目の帰宅宣言。
「あっ!」と言う短い叫び声とともにドンッという音が鳴る。
タッコさんが転けてしまった。僕が二階で作業をしていて、リビングに駆け付けるまでに時間がかかったせいだ。
「大丈夫?どこか痛くない?」
転けた時に打ったのか、右肩をさすりながら苦い表情を浮かべている。
「ちょっと右肩が痛いけど大丈夫や、堪忍なぁ。」
僕は前に立ち、タッコさんの脇の下から腕を回して、せーので持ち上げる。
ここ最近転けることが増えてきた。余り歩かないので足腰が弱ってきたんだろうか?
散歩に連れて行けたら良いけど、よっぽど僕の調子が良い時じゃないと難しい。たった数分の散歩にも行けない自分が情けない。
そういう事もあってか、最近の調査ではタッコさんに要介護1の判定が出た。今まではもっと低い、要支援の判定だったので、段々と家で見るのも難しくなってきた。ということだろう。
要介護1の判定が出た時、家である会議が行われた。開催時間は深夜、タッコさんが寝た後だ。
メンバーは父と母、福岡からオンラインで参加した姉、そして平日昼間の介護者代表兼息子の僕。今後の介護の方向性を決める重要な家族会議だ。
「これ以上お義母さんを家で見るのは無理よ。シュウくんだっていつかは働きに行くだろうし。」
「シュウタは今、暇なんだから良いだろう。歩ける間は母ちゃんを家に居させてあげたいんだよ。」
「暇って、これじゃあ就職活動もできないじゃない。もう四年もこんな状態なのよ。」
「母ちゃんだっていつまでも生きてるわけじゃないんだ。シュウタも家に居たくて居るんだから良いじゃないか。」
タッコさんの今後の話し合いの筈なのに、何故か僕の話しになっている。
二人とも普段こういうことを言わないせいか、心にグサグサ刺さる。すごく居心地が悪い。
するとそれまで黙っていた姉ちゃんが口を開いた。
「父さんも母さんも、これはシュウの今後の話し合いじゃないでしょ?早くタッコさんの話に戻ろうよ。」
姉ちゃんの圧に押されて、本来の話の筋に戻る。ふぅ助かった。
「本来ならお義母さんは、とっくに施設で見てもらってる筈なの。もうその段階に来たってことよ。」
「まだ全然暮らせるよ。なぁ頼むよもう少しだけ。」
「あなたは全然お義母さんの面倒みないじゃない!」
「休みの日は昼ご飯作ったりしてるだろう!」
「昼ご飯だけで面倒みてるつもりなの?私がパート休みの日は一日中お義母さんのお世話してるわよ!」
「その分、お前の両親には仕送りをしているだろう!」
平行線の父と母の言い合いを終わらせたのは姉だった。
「はい!もう喧嘩は終わり。母さんも父さんも自分の意見ばっかり。介護をしてるシュウの意見も少しは聞いてあげてよ。」
バツが悪そうに黙る両親。
「それで、シュウはどうしたいの?」
こちらを見る三人に僕は答えた。
◆
「本当にシュウは優しくて強いね。昔から自慢の弟だ。」
姉ちゃんはいつも僕を過大評価する。優しさとかじゃなくて、単に僕がやりたいだけだ。
◆
「ごめんね、仕事が終わる直前に店長から頼まれ事しちゃって、中々帰れなくって。」
母が帰ってきたのは十三時を大幅に過ぎた頃だった。
「いいよ、残りの荷物はまとめておいたから。」
「あら、さすがシュウくん!ありがとうね。」
「スズカさんお帰り。お腹すいたからみんなでお昼ご飯食べに行かへん?」
母の存在に気づいたタッコさんが話しかけてくる。ちなみに昼ご飯は一時間前に食べた。
「お義母さん、今日は行くところがあるので一緒に行きましょうか。」
「そうなん?まぁスズカさんが言うんやったら行こか。」
母の目配せの意味を理解して、僕はまとめた荷物をガレージの車に向けて運び出す。
「ちょっと遠いので車で行きましょうか。私が運転しますから。」
「運転なんかソウハチにやってもらったらええやん。」
「お気遣いありがとうございます。今日は私がやりたい気分なので私に運転させて下さい。」
僕が荷物を運び終わった頃、母がタッコさんを車に乗せる。
「それじゃあ行きましょうか。」
そしてそのままタッコさんは施設に入った。この施設はリハビリに力を入れているらしい。
「ぼちぼち帰るわ。」の無い昼食。一人分の食事をレンジで温める。
一軒家にたった一人で、少し寂しい気持ちもあるけど、きっとまた慣れるだろう。
この間、母さんと一緒にタッコさんのところへ行った時「ここの病院は食事が美味しいわ。」とか「隣の人とお友達になってん。」って笑ってたな。ふらつくことも少なくなったってリハビリの人も言ってたし、施設に入って本当に良かった。
タッコさんも頑張っている。あのまま家に居たらどんどん歩けなくなって、結局は寝たきりになってしまっただろう。
そうだ、明日あたり一人で会いに行ってみよう。前に挑戦した時は施設まで行けずに帰ってしまったから、今度は行けると良いな。
介護者という役割はなくなったけど、今の僕にはやりたいことがある。
◆
こちらを見る三人に僕は答えた。
「それで、シュウはどうしたいの?」
「僕はタッコさんを毎日散歩に連れて行けるようになりたい。」
これが僕の願望。
Opinions
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主人公がタッコさんとの日々をなんだかんだで楽しんでいる様子にほっこりしていたら、ラストで泣きそうになって危なかったです。
Permalinkささやかに見える願いの重みを想像してしまって……
家という小さな社会。他者とのつながり。
Permalink人との関わりは面倒もありながら、同時に孤独感への処方や事故効力感の源ともなってくれる……そんなことを思い出させる話でした。
私事ながら、私もかつては引きこもりで、家の中のちいさな仕事から自信を取り戻していった経緯があります。
自分でできることが増え、人生の主導権を取り戻す。これからシュウタや、作者・読者の皆様にも、そうした「ささやかな再生」が訪れることを願ってやみません。