引きこもり文学大賞 本編部門07
作者:六五四
うつとは脳内の幸福ホルモンという物質が一時的に出なくなって身体に不調を起こす病だ。どうやらわたしはそれに当選したらしい。
わたしは幸福だった。この診断が無ければわたしはただの引きこもりだった。わたしは引きこもる理由が自分にあった事に、変な話だがほっとしていたのだ。
わたしは前職を辞め、仕事を探さなくてはいけなかった。わたしはもう働きたくなかった。探さないまま1ヶ月が経つと、身体が一センチも動かなくなってしまった。わたしは友達に引きずってもらい精神科を受信した。いくつかの精神病に複合的にかかっていたようで、わたしは喋ることさえ出来なくなっていた。
なんやかんやでその友達に看病してもらっている。何もギブしてしないのに、友達はありとあらゆる身の回りの事を、やってくれていた。わたしは家族でもないのにそこまでしてくれる事に心を痛ませた。そしてそれを忘れてしまうくらい毎日襲って来る希死念慮に怯えた。すみません、幸福だったなんて、当選して嬉しかったように思ってしまってすみません。毎日毎秒死ぬ事を誘発されるのはつらかった。何にも替えがたく、わたしは病をなめてかかったことを、誰にでもなく謝った。毎日死ななくてはならなくなる自分は、もうあの頃の自分とは一欠片も同じではないように感じた。全く別の人間になっていた。
人は何ヶ月かで全ての細胞が変わる、と聞いた事がある。あの時の快活な私はもういない。もうあの私ではないのに、友達は当たり前のように面倒を見てくれる。私は金銭的により、精神的に友達に依存した。私はその友達が毎日帰ってきてくれることだけが希望だった。私と友達はもう家族だった。
引きこもりにラッキーなんてことは無い。精神を病んでない引きこもりの人がいれば、それは私から見たら幸福に見える。でも本人は絶対的に辛いだろう。普通の人から見たら引きこもりは人に養って貰えてラッキーだなんて思うだろう。でももちろんそんな訳がないのだ。引きこもってない人だってつらいから、引きこもりが羨ましく見えるのだろう。
わたし達はみんながつらいの色メガネで、劣って見える人や優れて見える人を僻む。それはつらいからだ。つらいのは、つらいよな、つらい。
だから、わたし達は自分のつらいをちゃんと世界から守って、世界から文句を言わせて潰してしまってはいけないのだった。優しく守らないと、生きていけなくなってしまうのだ。わたし達はわたし達のSOSを、みんな発してるものだから同じだ、なんて安易に名前をつけてりしないで、優しく、丁寧に扱うべきだった。そしてそれを出来ない環境に居る人は、出来る環境に、身を置いて欲しいと思った。それを出来ない人は、ひたすら痛みから目をそらすことしか出来なくって、こんなに虚しい事に、軽々しく名前をつけてはいけない事だけは確かに思えた。
わたしは自分が友達という幸福に救われた事を素直に喜んで、また死ななくてはならないのを毎日毎日凌ぐしか無かった。そして、どんなに軽々しく語られる言葉にも、真摯に向き合おうと思えた事は、この体験からの財産だったと思えるような、そんな人生になっていけばいいと、この波を超えるために、ただそう祈った。