引きこもり文学大賞 本編部門25
作者:録音手帳
K氏が引きこもりとなって3年弱。それにはあるきっかけがあったのだ。が、K氏にはそれを誰に弁明することもできないのである。なぜなら感情の分野で生じた出来事だから。もしその発端がK氏に振りかかった外部的な影響であり、K氏に直接の責任を追及するのは手に余るとしても、自身に与えられたその問題が解決できていないままずるずると3年程も引きこもりのような状態に陥ってしまったのは確かにK氏の不覚もあっただろう。しかもいまさら、その原因を説明しようと思ったって、そんなに月日が前のことなんてすでに溶けてしまった雪のように記憶の底へと流れ去っている。だから、いまでは問題は彼自身の内部に限定されているのだ。その出来事のおかげで、彼の心は凍った。凍ったまま、彼の心は、雪と一緒に流れて消えてしまった。そうなる前に、もっと用心するべきだったのかもしれない。しかし、どう用心ができるというのだろう。人の注目が、隣にいる人間よりも、メディアの囲い込みの範囲内に集合しているようなこの時代において。私たちはすぐ隣にいる他人の関心の矛先すらわが身を介してコントロールするのが難しい。自分の子供がSNSでランダムに流れてくる動画を眺めることのように、自分の責任を捨てて、何もかも手放しにすることを強要されているようだ。良いものも悪いものも含めて教え込むべき?それが人間性だろうか。いや、良いものを見せようとする努力はどこにいったのか。他人の目に入るものを自分の力で作ったり悪いものから守ろうとする意欲の行く末は。それは、自分の身なりや格好を整えることだけではないはずだ。態度や、礼儀、作法、それから環境、街の在り方、そういった外的(内的)な要素も人間世界を構成する重要な要素の一つである。自信とは、決して一人の人間の内側だけに存するものではない。
しかし、彼は、決して問題を解決しようとしなかったわけではない。むしろしようとはしたのである。その点ないがしろにするような信頼できない人間では彼はないのだ。だが彼は何とも馬鹿げたことに、その問題の解決方法を、結果としてはみずから進んで3年間も引きこもることに費やしてしまったのである。なぜなのか、なにがあったのか、彼の存在が他人にないがしろにされ、いわれのない中傷を受けるようにけなされた。他人にとっての彼が傷つき、彼にとっての他人の存在が損傷を受けた。絶対に手を入れられたくないセクシャリティ(特殊なジェンダーとは無縁の意味で)の領域にあんなにも無遠慮に土足で入り込んでくる輩がいるなどとは考えもしなかったのだ。その時彼は腹の中のヘドロが掻き回される思いがした。立場さえあればなんでもやっていいと思っているのだろうか?その行為がそれだけの実質に基づいているのならわかるが、その資質すらない連中が表立って何かを発信するなど・・・諸悪の根源以外の何だというのだ。それが立場のある者ならば、その何ほどかの行為の中に、思慮や分別、その人の人的資質が生きてこないとならないのではないだろうか。なぜそう軽はずみに他人の情緒や人的感情を扱えるのだ。自分自身を軽蔑するのも大概にしろ。だが付いていないことにそんな体験を他人に話してわかってもらうことは難しい。信頼によって成立していた人間関係が第三者の勝手な介入で断ち切れる初めての経験だったのだから(そんなことはないように努めるべきだ)。それから彼は口が塞がれたように無口になった。あまりの出来事に、彼にはそれを引き起こした社会の影響力や、その味方をしている人物などが全部敵に感じられるようになった。そして、彼は、その敵に、その敵と同一化するようにイメージの上で推しすら受けたのである。その効果によって、彼と外界との絆が切断された。彼にとっての社会性と他人にとっての社会性に相違が生じたように思ったのだ。つまり、一時的に、彼にとっての自主自立が、社会的行為の存在が悪と感じられるようになり、彼は部屋の中から一歩も外に出られなくなったのである。彼は社会を反社会的組織の集合体のごとく感じた。
それから彼は部屋の中から望遠鏡を覗くような日々を過ごした。まるで潜水艦の中で床に開いた窓から海中を眺め、研究することでいつかは地上に出られると思っていたかのようだ。しかし既に塞がれた窓から見える光景にいくら思いを馳せたところで、辿り着けるのはその手前でしかないのだ。つまり彼はそうした循環に立ち入ってしまった時点で、部屋の中で死ぬことが確約されていたようなものだった。日一日刻々と彼は近い将来の死を現在に引き寄せていった。時たま彼は自分の体液が部屋の床にしみこんでいる様子を想像して戦慄した。
「こんなに具合の悪くなる想像はしてはならない。今すぐにでも気持ちを切り替えよう」
しかし、彼にとって部屋の外の世界はすでに存在しないも同然の死の世界へと変貌しており、この世界に唯一生きている存在者が彼なのであった。しかしそれほどまでに彼は生きていたのである。実際引きこもりになるとちょっとした買い物で外出するのでさえ自分の中から出られないのだ。自分の部屋がどこまでも延長して出口がない。他人は周りに歩いているが、それは接触不可能の背景みたいなものと変わらず、どうやったってたどり着けない。マッチ売りの少女の気分をリアルに体感する現実などがあっていいのだろうか。彼は帰る場所を無くしてしまったのだった。
自分だから言えることだが、その状態の彼は世界に対する入門の仕方が逆転してるといって差し支えない。彼はいつも心臓をむき出しにして一人リングに立っているようなものであり、彼以外のものは全部彼に対して逆風を当ててくる関係となっているのだ。本当に常に拘束具を着せられているように身体の自由が効かない。限られた場所を往復し、ロボットのように、限られた選択肢しか取れずに、中枢神経系を乗っ取られているかのようだ。むろんそんな状況では嫉妬も生まれる。しかし他人に手出しすることもできないのだ。これではまるで徘徊老人の皮をかぶったような日常だ!そうでないと辛いから、何かを思わずにはいられないが、ガラスの壁に囲まれているように、思ったことが全部自分に返ってきていつも風が痛い。このままでは全部だめになってしまう!なんとかしなくては!でも何をどうすれば?ああ!そうこうしているうちに、彼と外界の唯一の接点となっていた以前の友人とのSNSのつながりも終わってしまった。時間がたってしまったので、すでにもう前と同じようには連絡のとりようがないのである。しようとおもえばとれなくもないが、しかし下手なこともしたくないし、この現状を知られたくないという実際的な考えもある、相手も知りたくない部分だろう、だから言えないし、本質的には責任のとれない先生のように社会機関が無責任に垂れ流す困窮者への救済の言葉とは違って、複数の協力がなければ、実際には助けられもしないのだが、そうでなくて慣れ合ったって仕方がないし、それに言っても結局何をどう助けてもらえばいいのかが簡単にはわからないものなのである。──なぜ、助け合うべき時に助け合えなかったのだろう。誰が自分に片思いをさせたのだ?そうこうするうちに時間はまた経っていく。いまではもはや不特定多数の他人を模倣して外出するのも困難だ。自分には実年齢に対する共通の経験と必要なスキルが欠けている。あるべき自分の姿から落ち込んでしまっている。こんな状況ではますます出られない。頑張りたいのに、そう、今の状態で他人や社会や何かに対する働きかけができていないのは自分自身であり、人や自己自身にすら不義理を働いているとさえいえるだろう。もはやこれは悪徳をしでかしている段階である。薄々そんな予感はあっても、そんなつもりはなかったのだが(しかもどうやって引きこもりの対策なんかとったらいいんだ。何でも思い通りになるものじゃないと自覚しているのはそっちだって同じじゃないか。え?何か文句でもあんのか?あんなら言えよ。ないなら黙ってないで助けろよ、あーもう、そーやってじゃないんだよ、なあ、俺が何求めてるかわかんない?わかってんのに、何もしないなら、それはあなたがたの臆病と一方的な狼藉であり、他人に対する失礼にすら値するのだと、恐れずにそういわせてもらうよ。聞くけど、自分何か悪いことしましたか?してないのに、とやかく言う権限は見知らぬ他人には無いはずだし、また黙って見捨てる権限も無いはずだ。むしろ人間として助ける義務すら親愛なる諸君、あなた方にはあるのではないだろうか?やっぱり想像だけであれこれ思いめぐらして身勝手言ってんのはおまえたちの方だったんじゃないか。勝手にブーメランやってろや。第一ブーメランとかいう言葉をまるで流行り言葉か何かのように使いだした数年前の世間(つーかメディア。馬鹿で無知で邪魔でそれを自覚しているインフルエンザーウイルスたちのおしゃべりも然り。そこにいるあなた、ミーハーな連中に対する予防接種をしては如何?)の風潮もきもいんだよ。何もわかってない奴らがのうのうとのさばりでてわけもわからないことをしてたらそりゃ腹立ちますよね、しかも周りの人間がそれに影響なんか受けてたら、ついていかなきゃ、なんつって、それは成長の拒絶では?)。
彼はたしかに、彼にとっての正しい何かを信じているのだが、もはやそれが、彼の心うちにしか実在しないと感じられるような状況では、どうやったって彼の行為は自殺と結びついてしまう。しかし、外に出るのも自殺には変わらないのなら、自分の信念をもって死んだ方がまだマシではないか。という、彼の信念すら社会から殺してしまう他殺的な状況に置かれているのだ。
以上、引きこもり実況中継でした。解説お返しします──