引きこもり文学大賞 本編部門36
作者:くまお
弾は二発。リロードしている暇はない。敵がくる。上、左、A。ヘッドショット。もっかい。右、A。ヘッドショット。っし!
一旦弾薬庫の影に身を潜めて態勢を立て直す。武器をショットガンに変え、先へ進もうとしたそのときだ。
カチャリという音は、イヤホンからではなく背後から聞こえた。
「おい! 勝手に入んな……って」
振り向いた僕は固まった。そこには知らない男が立っていたからだ。
「え、誰?」
年齢は僕と同い年くらいの十四、五に見えた。学生服を着ているので中学生であることは間違いない。茶色がかった髪は天然なのかパーマを当てているのかわからないが、良い感じに軽くウェーブしている。中性的で色白な顔はたぶんイケメンの部類に入るだろう。いかにも一軍グループの中心にいそうな奴で、酷く不快な印象を受けた。
「はじめまして。僕、大森慧。この秋に北中に転校してきたんだ。クラスのみんなとは一通りしゃべったり遊びに行ったりして仲良くなれたんだけど、一人だけずっと休んでいる子がいてさ。会いたいなあって思ってたんだよね。それが、きみだ」
そう言って大森は指をパチンと鳴らし、僕を指さした。うわ、嫌いだわ。まじで、生理的に受け付けない。こんな気障な奴、本当に存在するんだ。
ていうかこいつ転校生って言ったよな。いま九月の半ばだから、まだ新学期が始まって二週間も経っていない。それなのにクラスのみんなと一通りしゃべったり遊びに行ったりしただって? その上、不登校の僕の家にまで押しかけてくるなんてどんなコミュ力してんだ。陽キャってかむしろ妖キャ? ここまでくると怖いわ。
「いや、どうでもいいけど。不法侵入だろ」
「きみのお母さんが快く招き入れてくれたよ」
あのババア。余計なことしやがって。聞こえよがしに大きく溜息をつく。
「あ、これ手土産のお菓子ね。おいしいからぜひ家族で食べて」
手渡した箱を僕が受け取らないので、大森はわざとらしく肩をすくめてそれを机の端に置いた。
「いいから帰れよ」
「一個聞きたいことがあるんだ」
「なんだよ」
「どうして学校に来ないの?」
は、うざ。優等生気取りかよ。学校か親の差し金か。そうやって僕を外に引っ張り出すつもりだろう。小賢しい。
難しい顔をして首をひねっていた大森は、なにかを閃いたようにまた指を鳴らした。
「もしかして、ひきこもりなの?」
「馬鹿にしてんのか。見たらわかるだろ」
「いや、僕が言ってるのは、ひきこもりはひきこもりでも、周りを惹き付ける方の『惹きこもり』だよ」
一人納得したように「なるほどだからか……」などと呟きながらうんうんと頷いている。
「全然意味わかんないんだけど」
「つまり学校が来いってことでしょ? あっちから来るから、わざわざきみが行く必要なかったってわけだ」
「いや、だから……」
「実際きみは僕をここにつれてきた」
「はあ? おまえが勝手に来たんだろ」
「違う。きみが僕を引き寄せたんだ」
大森は至って真剣な顔つきだ。出口の見えないやりとりにうんざりする。引きこもりを外につれ出すための新手の作戦か? なんでもいいけど早く帰ってくれよ。
「とりあえず今日のところはこれで帰るよ」
え。願いが届いたのか、大森はくるりと背を向けドアの取っ手に手を掛けた。なんだ、案外あっさり引き下がるじゃないか。
「もう二度と来るな」
「残念だけど僕の意思とは関係なくまた来ることになるだろうね。それに、来るのは僕だけじゃないよ」
そう言うと大森はひらひらと左手を振りながら、後ろ手にドアを閉めた。
よくわかんないけどまあいいや。邪魔者は消えた。やっと世界に平穏が訪れたぞ。数分ぶりに画面に向き直ると「GAME OVER」の文字が踊っていた。んだよ。舌打ちをしてコントローラーを投げ捨てる。床に寝転がると白い箱が目に入った。
「お菓子って言ってたっけ」
手に取り、包装を剥がす。中身は一口サイズのまんじゅうだった。一つ掴んで口に放る。うん、意外とうまい。
次の日の夕方。普段から時間は気にしてないから定かではないけど、前日に大森が来たのと同じくらいの時間帯だと思う。静かなシーンだったので、イヤホンをしてても玄関のチャイムが鳴ったのがわかった。嫌な予感がした。今回はちゃんと一時停止し、イヤホンを取って耳を傾ける。しばらくして、とん、とん、とんと、階段を上る音。あの野郎、追い返してやる。
ドアを開け、「おまえいい加減に……」と言いかけて口をつぐんだ。そこにいたのは大森ではなく、同じクラスの一ノ瀬だった。
「あ、えと、なんの用?」
怒鳴りつけようと思っていた僕は、すっかり勢いをなくした。
「ちょっと顔見たくなっちゃって」
ちょっと顔見たくなっちゃって? いや、これが可愛い女子だったら一撃で好きになっていたと思うけど、一ノ瀬は男子の中でも男子よりの男子だ。一ノ瀬っていうより五郎丸って顔だ。
悪いけどいま僕はゲームで忙しい。帰ってもらおうとしたところで、宇佐美と榎本が上ってきた。おいおいまだくんのかよと思っているうちに、岡田、柿原、木下とさらに続く。え、もしかして名前の順?
その後も全然知らない他のクラスの生徒や違う学年の人、教師や用務員のおじさんまでやってくる。どうなってんだ。家の中が満員電車みたいに人で溢れる。人ごみの中にやっとのことであの茶髪頭を見つけ、腕を引っ張った。
「おい、なんだよこれ! 説明しろ」
「きみがみんなを引き寄せたんだ」
「ふざけんな。僕は面倒な人間関係が嫌で引きこもりになったんだ。外に出て人と関われば関わるだけ傷つくリスクが上がる。それなら誰とも会わず家でゲームをしたり、ネットしてる方が楽しい」
「きみが周りを拒絶しても、周りがきみを放っておかない」
「なんでだよ。僕は勉強もできない、スポーツもできない、なんの取柄もない人間なんだぞ」
「いいや。気づいていないだけで、きみは人を惹き付ける魅力を持っている」
ちっちっちっと、大森は人差し指を左右に振る。
「惹きこもりの『惹』という字は心が若いと書く。幼いんじゃない。若いんだ。ほら、舌だって若いうちは苦みを強く感じすぎてコーヒーやビールが飲めないって言うだろ? 心が若々しく、なんでも繊細に受け止めてしまうがゆえに、傷つきやすく、ときに辛い思いをすることもある。でもそれはきみの強みだ」
大森がパチンと指を鳴らすと、目の前に過去の僕の映像が流れ始めた。
「コントローラーは傷が付かないように布団の上に投げたし、お菓子の袋も丁寧に折りたたんで捨てたね。家に来てくれた一ノ瀬君や他のクラスメイトにも決して横柄な態度はとらなかった。視野が広く細やかな気遣いができるというのは、地味かもしれないけれど確実に人のためになるんだ」
いつの間にかクラスメイト達は消えていて、残っているのは僕と大森だけだった。
「きみに限らず、引きこもりというのはみな、なにかを惹き付ける力を持った『惹きこもり』なんじゃないかと思う。それは絵かもしれないし、音楽かもしれないし、言葉かもしれない。いまはいわば蛹の状態ってことだね。外界を遮断することによって能力は成熟し、いつの日か必ず開花する」
いつの日か必ず開花する……こんな僕でも?
そのとき、唸るような地響きを感じた。地震だろうか。
「あ、そろそろ来るんじゃないかな」
「なにが?」
「学校」
学校って。まさか。慌てて窓を覗くと少し先に北中の校舎が見えた。家々をなぎ倒しながら、こっちに向かって近づいてくる。
「やばいじゃん! どうすんだよ!」
「きみが引き寄せたんだから仕方ない」
「どうしたら止められるんだ?」
「外に出てみたら? 惹き”こもり”じゃなくなるでしょ」
そんな言葉遊びみたいな問題なのか。でも試してみるほかない。僕は急いで家を飛び出した。学校の方向へ走っていく。
「僕が行くから、もう街を破壊するな!」
いくら叫んでも事態は一向に好転しない。段々校舎が近づいてくる。くそっ、もうやるしかない。僕は迫りくる校舎に真正面から突っ込んでいった。
全員の視線が僕に向けられている。
「おう……斎藤。ホームルーム始まるから、席着け」
担任の小竹は若干戸惑いながらも、「あそこ空いてるから」と指をさす。窓際の一番後ろにぽつんと一つ空席があった。街は破壊されていない。校舎も動いていない。いつもの日常だ。安堵するとともに、軽い苛立ちを覚えた。なにが起きたのかよくわからないけど、やっぱり僕を学校につれ出すための新手の作戦だったんじゃないか。
ホームルームが終わると一ノ瀬が僕のところに来た。
「よう、久しぶり。今日来たのはさ、なんかその、きっかけとかあんの?」
一ノ瀬は探るように言った。
「別に。しいて言うなら大森のせいだよ」
あいつの名前はあまり出したくないが、仕方ない。少なからず感謝しているのだ。引きこもりの僕でも、少しは価値があるのかなと思えたから。
「大森? 誰それ」
一ノ瀬はすっとんきょうな声を出した。
「あれ? 大森だったよね。茶髪でパーマの。ほら、秋から転校してきたっていう」
最初に名前を聞き間違えたのかもしれないと思った。教室を見回し、大森の姿を探す。
「なに言ってんの。うちのクラスに転校生なんていないよ」
え、どういうこと? じゃああいつは一体何者だったんだ? その問いに答える者はいない。オチのない映画を観終わった後みたいに、行き場のない感情をただ受け入れるしかなかった。
*
「なに言われようと学校には行かねーからな!」
そう叫ぶ少年の目は、社会に対する不信感と嫌悪感で暗く淀んでいる。まるでいつかの自分を見ているようだ。
「別にいんじゃない? 行かなくても」
「は?」
面食らったように少年はポカンと口を開けた。
「僕は思うんだ。引きこもりはみな、なにかを惹き付ける力を持った『惹きこもり』なんじゃないかって」
これやったらうざいかな、とか思って笑いそうになるのをぐっと堪える。
「もちろん、きみもね」
そう言って僕は指をパチンと鳴らした。