引きこもり文学大賞 短編部門12
作者:イトウキソク
引きこもっていた時期をいま思い返すことがあるのか? 思い返してみたところで現時点で引きこもっている人に比べたら郷愁こそあれ、切迫感がある文章になるとは思えない、というのも現在三十五歳の自分が十歳から十七歳の七年間をどんなに贔屓目なく振り返ったところでそれはもはや「現実」とは異なるなにか後付けの安堵感を振りかけた「虚構」になってしまった類の思い出なのだから――そうだとしても僕にとっての失われた七年間がいかに、どのような横顔をしているのか、そしてその眼は今の僕を睨んでいるのかエビス様のような三日月型の眼で見つめているのか、そのことをつまびらかにしたいと若干ながら望んでいるのはなぜだろう――だがたとえ補正された思い出だとしてもそれが自分らしい、自分らしい? 自分、らしい……僕は小四の時にぱったり学校に行かなくなったが、今ほど不登校や引きこもりは生き方の一つと思われておらず、レールを外れること以外に意味を持たない行為だったし、それは親や祖父母の世代にとってはさらに堅固な価値観に違いなかったようで、あっという間に家庭内の不和を引き起こし、僕はただただ「普通になりたい」と自分を責める毎日で十七歳の時にやっとフリースクールを探して動き出すまである意味でそれだけに支配されていたのだが、僕は死ぬほどの恥ずかしさを何度も経験して憐れみの眼をいやというほど向けられながら周りに紛れ、周回遅れのトラックを走る長距離選手のように大学に行き大学院を出てはじめて就職をしたのが二十九歳の時だったが、今でもふとあの頃の少年を思い出すことがある、僕にとってはその少年はただ健気でエネルギーを持て余している不安と焦燥の間で呆然と立ち尽くしているどこにでもいる少年らしい少年、少年らしい? 少年、らしい……
「普通」を手にした僕に少年はいう
「自分らしいなんてあやしい」と。