引きこもり文学大賞 短編部門20
作者:虹乃ノラン
「お義母さん、お水を飲まんのだって。薬も吐き出すし歯磨きもしないって看護師さんから電話がきたのよ」
帰宅すると妻の依里子がそう言った。
「だけど点滴はしとるんだろ」
依里子は鍋の中を菜箸でつつきながら答える。「それは言ってなかったけど。ねえ明日行ってきてくれない? あ、崩れた」
見ると大きな芋が割れている。「肉じゃが。快彦がお盆に帰ってくるから」
料理の苦手な依里子は食事の度に母に文句を言われるといつも愚痴を零していた。母が風呂場で倒れ呂律が回らなくなると救急を呼び脳梗塞を心配していたが、臀部に軽度のひびが入っていただけで二週間の入院になると安堵していた。最初は羽を伸ばせると喜んだがそれまでの賑やかさがうって変わり閑かになるとやはり寂しいらしかった。
「おっそいな! 水がまずい」
母は俺の顔をみるなりそう言った。ベッドの上で正座している。棚の上には風呂敷で包まれた荷物が置かれていた。看護師が苦い顔で案内した理由がわかった。
「おふくろ、まだ退院はできんが。頼むわ」
母は首を振る。「依里子さんの料理のがマシだわ」
俺は椅子に座ると顔を覗き込んだ。「食べたいものがあるなら持ってくるからもうちょっと辛抱してくれんか。歯磨きはええけど薬は飲んでくれ」
後ろを通り過ぎた看護師が無言で圧を送ってくる。
「んなら、川口屋の水羊羹」
「あれ好きだな」
「盆はあれと決めとる」
二日後、要望通り竹筒に入った涼しげな水羊羹を持参すると、母はぱあっと嬉しそうに笑った。歯のない口であっという間に平らげると「洗ってこい」と竹の容器を押し付ける。大人しく従うと母は引き出しを開けて入れ歯を取り出し、中にコロンと転がした。
「黄ばんだトレイにはみっともなくて入れとれん」
俺は肩を落とす。幾つになっても見栄えを気にする母だったのを思い出した。
「土産にもう一つ買って行け」と言うのでそれにも従った。
肉じゃがは母も好物だ。