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文学大賞 本編部門03 やわらかい前髪にふれてみたい 作者 風ゆらり

文学大賞 本編部門03

作者:風ゆらり

ふれてみたい人、ふれてみたいもの、ふれてみたい未来、ふれてみたい心。わたしのなかには、たくさんの「してみたい」が満ちている。わたしは今これを読んでくれているあなたのこころを知りたいし、あなたがどんな風に生きてきたのか知りたいし、なにを痛いって思って、なににどうしようもなく惹かれるのか知りたい。秋の風が吹きつけて、からだが少し冷えたことと寂しさを混同してしまうわたしをわかってくれたら嬉しいし、いたくてたまらなかった過去も知ってほしい。あなたは、今日、なにがこころに引っ掛かってる?それは、いたいこと?それとも、肌がひりひりしていたいのか嬉しいのかわからなかった?それとも、なにかで息をするのが大変だった?

とにかくとにかく、わたしはあなたのことを知りたいし、なにがいたかったのかを一緒に話し合ってみたいし、どうしてあなたが今のあなたになったのかってことにとっても惹かれている。はずだけど。

あなたの前髪に透明な風が吹いて、その前髪がふっと空に浮きあがるとき。あなたの目が泳いで、その瞳がためらいの光を映しているとき。あなたの指先がふるえて、そのふるえのなかに、だれにも言ったことのない秘密を見つけたとき。わたしは、わたしは、それだけでもう十分だと思ってしまう。たとえそれが何年かまえの記憶だったとしても、関係性と呼べるものではなかったとしても。そういう、ことばにならないあなたのこころを盗み見たような、静かな、いのちといのちのすれ違いで、十分なんだと思う。

―プールで泳いでいたとき、水のなかにもぐると、すべての音が遠くなって、水着を着た同級生の動きがスローモーションで見えた。潜って、水底で光るダイヤモンドを見つけた気持ちになって、拾おうとする。水色の世界、音のない世界で、指先が、わたしと同じように宝石を探している友だちの小さな指先と一瞬重なる。息を吸いたくなって、もう一度水の外に浮き上がる。夏の太陽に焼かれたような、それでいてどこか冷やされたような空気でからだがみちていく。漂うのは塩素の匂い。宝探しの時間、あのときだれとどんな会話をして、だれが宝探しに勝ったのか、そんなことは覚えていない。いまでも覚えているのはただ、あのときふれた誰かの指先。水に溶けただれかの呼吸の、いのちの気配—。

いのちがすれちがうとき、そこには絶対的な気配があって、そして、それは名づけられるなにかよりも強烈で。役割とか、責任とか、愛とか、そういうことになるとすぐに説明を求められて嘘の説明をすることになるけれど、いのちがすれちがうとき、そこには言葉にならない絶対的な感覚がある。わたしは、そんな瞬間を宝物みたいにとっておくのがとっても大好きで、それをずっと大切にしていたい。

でも、社会はそれをあんまり許してはくれない。わたしは、なにかにふれたい。ふれてみたい。あなたのこころにふれたい。あなたのことを知りたい。あなたと人生の宝探しをしている途中でふと指先を重ねて、目で会話したい。あなたがだれだったか、わたしがだれだったか、ずっと覚えていられる保証なんてなくても。でも、そういうことをしようとしても、もっと社会は、結論のあるものを求めているような気がする。

たとえば、

やわらかい前髪にふれたいと思いました→愛しています
あなたの瞳の煌めきを大切にしたいと思いました→あなたの人生に責任をもちます
あなたの痛みを知りたいと思いました→わたしと仲良くなってください

って感じで、変換しなきゃいけない。大人のことばに、変えなくちゃいけないんだ。嘘をついてでも。自分の感覚に、正直になることをやめてでも。

大人のことばに変換したとして、うまくバランスをとれる気がしない。愛してます、なんてことにしてしまえば、わたしはあなたのことを24時間求めてしまう。あなたの人生に責任をもちます、なんてことにしてしまえば、わたしはその重さで愛を忘れてしまう。わたしと仲良くなって下さい、というメッセージを仄めかせば、しばらくその関係性に自由をうばわれる。

こういうのを、愛着障害って言うひともいる。愛したいのに、愛されたいのに、愛が近づいてくると、それが愛という名目のもとで自由を奪われた過去と似ていて、そのせいで逃げてしまう。愛と自由、愛と痛み、そのちがいがよくわからない。そういう状態を、失感情症と言う人もいる。でも、その名前が、その分類が、何になるというのだろう。たしかにわたしは被虐待児で、愛着障害で、失感情症かもしれない。でも、わたしはそういう分類をアイデンティティにする気なんてさらさらないし、同じような生きづらさとともに生きるひとのことも、ラベルで見てはいない。わたしたちはもっと自由で、こころがあって、分類のまえに、だれかからの判断のまえに、自分として生きている。

「ふれてみたい」という夢と、「ふれる」という現実のあいだに、とてつもない境界があって、それは、まるで家の壁くらいに厚い。外に出ればだれかにふれることになる。ふれれば、もうふれてみたいっていう夢は、消えてしまう。わたしは満たされる前の刹那、あなたを知る前の刹那、あなたと現実的な契約をむすんでしまうまえの刹那の煌めきに、目を奪われている。

ふれてみたい、知ってみたい、わたしも、ふれてほしいし知ってほしい。でも、実際にふれられたり知られたりしたらこわい。あなたのことを知っても、それが関係性に変わってしまうのがこわい。わたしはそんな、じぶんのなかでの絶対的な美しさを守るためだけにつくられたみたいな世界のなかで、じっと、なるだけ傷つかないようにしながら、今日も秋の風を感じている。これを書くことで、関係性じゃないところであなたとふれあえる。わたしはそのことを信じている。実際にふれなくったってかまわない。あなたに現実を押し付けたくはない。わたしの重さは抱えなくていいよ、そんなことしていたら宝物を見失ってしまうかもしれない。わたしも、現実でしばられたくはない。現実でしばられた瞬間に零れ落ちていく、本当を見落としてしまうのがこわい。でもわたしはあなたの存在を感じている。あなたも、だれかの存在を感じている。それだけで十分綺麗で、やわらかくて、あたたかい世界。そんな世界の風に吹かれて、それぞれの場所で生きてみよう。

名前もしらないだれかの、やわらかい前髪に、ふれてみたいと夢見るだけの―。

そして、勇気が出たら、夢をうしなう可能性があってもやっていけそうな勇気がほんの少しでもお互いがもてたとき、夢のプールから浮き上がることにする?それで、いっせーので陽の光の下で、息をしてみるのも、いいのもしれないね。 




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