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文学大賞 本編部門05 沼 作者 paku

文学大賞 本編部門05

作者:〆切抜刀斎

  注意書き

 これは「まとまりのない」人間が書いた「まとまりのない」言葉たちです。そこに誰かを何かを非難するような意図は一切ありません。
 しかし、ある人、ある社会にとっては、不快あるいは不適切とみなされることかもしれません。まとまりのあるもののほうが綺麗で、誰も傷つけなくて済むものです。

 
 
 
 

 この人生はフィクションである。どうしようもなく行き詰まったとき、私はそう考えるようにしている。ある映画の中の、ある小説の中の、たったワンシーンなのだと。ゆえに、そこからどうにでも展開しうるのだと。

 私は死んでいる。いやもう少し正確に言うと、魂の抜けた肉体、廃人である。
 二度目の精神科入院ののち、またしても自殺念慮の虜となり、過食嘔吐と薬物に溺れる日々。荒れた自室。鉛と化した四肢。頭を抱えずにはいられない精神状態。身体を起すことさえままならない。22歳女子大生という肩書はすっかり錆びついている。まして、なにが心理学部だ。自分の精神状態さえどうにもできず、文字通りこの目に映る世界は漆黒の闇である。心理学と名の付くものすべてが綺麗事に思え胸糞悪くなる始末。こんな状態で、明日の通院さえ行けるのだろうか。行って何になるのだろうか。
 でも、どこかで分かっている。何かこの廃れた心に荒波を立てなければいけないと。
 
 
 
1

「必要な人になりたい」
 それは正常な欲求であるはずなのに,不健康に思えてならない。

 他人から、必要とされたいのだ。自分は、自分がいらないから。

 目標を見失っているんじゃない?なりたい理想像があると、そんなにネガティブにならなくて済むよ、と言われた。

 私は,決して純潔真っ白、漂白されたような人間になりたいわけじゃない。人間らしい灰汁のある人間になりたい。ただ、今の私は灰汁そのものなのだ。手のつけようのないほどに。
 彼は私を知らない。あらゆるものに溺水している私を。
 
 
 
2

 午後からの講義。もう休めない。重い身体を偽るようにして、大学にまで辿り着いた。それなのに今、トイレでうずくまっている。いったい何がしたいのだろう。何が、それほどまでに嫌なのか。

 誰か、ここから引っ張り出してはくれないか。
 息が、息が苦しい。

 手を伸ばそうにも、自分の手の先が見えない。
 自分が起きているのか、倒れているのかさえも、よくわからない。

 どうしたらいいのか。
 どうしろというのか。
 誰か、知っているのか。
 
 
 
3

 ここから抜け出したい。
 消えられたらどんなにか楽なことだろう。

 戻ろうとしている。私のことを何も知らない、露ほども顧みることのない中年たちに値踏みされる人間に。いや、奴隷に。

「大阪市内、とくに京橋で定期的にお目にかかれる方を探しております。京橋以外ですと天王寺でしたらあわせられます。ただ、初回は京橋限定でお願いしたいです。
 私のほうですが、173㎝、63kgで、BMIは21をごく僅かに超える程度です。既婚者ですが女性好きでして、いい方いらしたらと思って探しております。正直に申し上げておきますが、食事のみでずっとの方には興味ございません。
 あと、女性のほうからお礼はいくら以上でっておっしゃってこられること多いのですが、お目にかかってみないと決められません。事前にある程度分かるようなお写真をいただいて、私が会ってみようかなと思えたら、まずはお目にかかってみたいです。
 ただ、写真って、実際にお目にかかってみたらまた全然違ったとかいうことがままありますよね。
 なので、お目にかかってみて、マスクとっていただき、2、3言お話してみて、違うなって思った場合は、何もなしで解散させてください。容姿良い方でしたら、こちらから断ることはないです。
 ではご検討お願いできましたらうれしいです」

ここまであからさまな。値踏みされる覚悟で来てください、と断言されているような。
 
 
 
4

 バイトを始めてみようかと考える。もっと人道的な、真っ当な、お金稼ぎ。

 今更ながら、自分を大切にしてみようかと、仄かに思った。

 抜け出したいのだ、この沼から。
 
 
 
5

 「夜の航海(night sea journey)」

 深層心理学者ユングは、自身の深刻な精神状態の体験をそう表現した。
 未来の展望が消えて迷子になってしまう時期のこと。

 太陽が沈むと巨大な怪魚に飲み込まれる。
 地平線の底へと運ばれていく。
 再び太陽が昇り始める。

 終わらない死と再生のプロセス。

6

 感情の凍結。そして、それと向き合うということ。
 豪雨、稲妻、腐感情、虚無感。容赦なく肉体を貫いていく、その一筋一筋が、私が生きている証なのであった。
 
 
 
7

 いま一番怖いのは、自分に落胆することだ。

 やめようと心に決めたそばから、胃に物を詰め込んでは管をぶち込んで出し、そこに錠剤を投下しては感覚を麻痺させ、その翌朝は後悔と絶望に染まった日が私の頭上に昇るのである。

 私にとって、生きやすい場所はどこなのだろうと考えて、図書館が思い浮かんだ。静かに本に囲まれたかった。けれど現実には、布団から這い出ることすらままならない自分がいるのである。

 一日一日を重ねると同時に、元々たいして持ち合わせてもいない自信が削り取られていく。
 
 
 
8

 矛盾を拡大する。それは痛ましい作業である。

 私の現実と理想は、どう足掻いても両立しえない。

 認めなければならない。遠回りはもうたくさんだ。
 
 
 
9

 「悪い子にはサンタさん来ないよ」

 いい子にしていても、サンタさんが来ない子どもたちもいることを忘れないでほしい。

10

 過食という「快楽の狂宴」。それを思うだけで、ひそかな興奮に心を浸すことができる。しかし、終宴を迎えれば、すべてが自作自演のまやかしであったと思い知る。そのようにして人生もまた終焉へと歩を進めるのだ。
 
 
 
11

 私が今、ちゃんとしなければ。ちゃんとしなければ。父の、母の、失敗作になってしまうから。もう親の失望した顔を見たくないから。踏ん張れ。頑張れ。こんな言葉たち好きじゃないけど、自分をやけくそに奮い立たせるには丁度いいから。心がなんだ。傷がなんだ。見えもしないものがどうしたっていうんだ。心理学を馬鹿真面目に勉強してきたけど、机上の空論ってやつなのか、現実には到底通用しないよな。
 
 
 
12

 「私」は「病気」という体験をする側なのであって「病気」そのものではない。

 じゃあ、「私」から「病気」を引いたら何が残るのだろう。
 
 
 
13

 私の中の「私のようなもの」が、たびたび夜中に支離滅裂なLINEをする。

「たすけて」
「いたいたすけてごめんなさいころはないで、いわないでおなあさんにはおねがい、ころさなひで」
「いたいおこらないでおかあさん、ごめんなさいごめんなさい」

 何があったというのだろう。急いでトーク履歴を削除する。〔メッセージの送信を取り消しました〕の表示がまるで,リスカの傷跡みたい。

 鬱が消えて世界が少し明るくなっても、心に射した昔の影はなくならないのね。
 ああ眠い。
 
 
 
14

 やさしさが人を殺すこともあるのだ。それを私は知っているし、それが私の生きてきた世界なのである。そして、通常これはひとに理解されない。理解される術を持たない。
 
 
 
15

 薬の種類が増えた。鬱は消えないのに時間とお金だけが消えていく。

16

 そこには白い天井があった。腕にはたくさんの管。そこらじゅうで機械がピッピッと鳴りやまない。うるさい。うるさい。

 解離状態で薬と酒を乱雑に投下していたらしい。何をどれだけ飲んだのか把握できないため今回も胃洗浄はパス。解毒剤も使われない。吐き気吐き気吐き気、わずかな胃酸ももうないというのに。私の身体は何を吐き出そうとしているのか。

 私は「私」に懲りた。
 ああ、空を飛びたい。
 
 
 
17

 母のこととなると、私は饒舌である。

 愛している、そして憎んでいる。
 そこはかとなく感謝しているし、そして消えてほしい。

 あなたのせいで、この身体は、この精神は、どうしようもなくなった。

 けど、あなたも誰かのせいで、どうしようもなくなったんだってこと、私は知ってる。

 私が「こども」という存在であった頃は、あなたの支えになれていたかもしれない。
 私が笑えば、あなたも笑ってくれたから。

 けれど、どうやら私は、あなたにとって「わるいこ」でありつづけたみたい。そして、ついには「くるったこ」になってしまった。あなたを支えるどころか、ただ破壊させ傷つけるだけの存在になりさがってしまった。私が笑えば、あなたは顔を歪め、部屋に閉じこもり、背中を丸めて泣き続けるようになった。
 
 
 もう「くるったこ」の私には母を笑わせる魔法は持ち合わせていない。
 もう「ごめんなさい」も物もお金も何もかも通用しない。
 だから、あなたのその「後悔」だけを叶えてあげようかなと思うの。
 ただそっと、もどすだけだから。
 
 
 
18

 頭がゆらゆら揺れている。
 生と死の狭間を揺れている。
 欲望の狭間を揺れている。
 人と人との狭間を揺れている。
 愛と憎しみとが揺れている。
 
 ぐらぐらと
 そして、がたがたと
 崩れていく。
 
 
 
19

 他人の心の中に居場所を作ろうとする。
 自分の心の中に居場所がないから。
 
 
 
20
 
 いま、久しぶりに机に向かっている。
 院試に向けて研究計画書を書いている。
 
 
 精神分析家のウィニコットという人は「ひとりでいられる能力(Capacity to Be Alone)」という概念を提唱した。そこには2つの意味がある。

 ひとりでいるときに、ふたりでいられること。一人でいるときに、孤独を感じすぎないでいられること。「孤の不安」に耐えられること。

 ふたりでいるときに、ひとりでいられること。他者といるときに、不安を感じずにくつろげること。「個の不安」に耐えられること。
 
 
 
 ひとりでいられないとき、人は引きこもるのだろう。
 みんな不安を行き来して生きている。




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