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文学大賞 本編部門09 逃亡 作者 窓際

文学大賞 本編部門09

作者:  窓際

もう、良いかな。
何処かに駆け出して、何処かへ逃げて行く……
それだけ。

冷えて動かず、痛くて染みる。
「先生、お手洗いに行ってもいいですか。」
息が出来ないこの部屋を抜け出して、近くの公園へ行ったら戻らなくていい。
爽やかな風は澄んでいて、冷たいけれども、教室よりも暖かい。太陽の光が逃亡を肯定するように射し込み、世界の色を知る。
あ、小さくて小刻みに尻尾を揺らしている、犬。
散歩紐に繋がれても私より自由だ、そうに違い無い。
愛らしい愛らしいと言う目で犬を追う、飼い主。
私も誰かに飼われたら、あんなに幸せそうになれますか。

時計を見れば、今もあの教室では授業が続いていて、私が知るべき、私の知らない事がまた1つ、また1つと増え続けている。
でも、学生の本分を捨てただ人としているこの空間だけが、全てを諦めたようで清々しく、心地好い。風が私を撫でる度、少しお腹が空いて、寂しくて、私は独りで逃げ出した事を実感して、嬉しくなる。
公園のベンチに腰掛けて、今日は他に人が中々居なくて、そのせいで気分が高揚して、小さく鼻歌を零していく。
と思えば、子供と母親がやって来て、子が後ろの遊具目がけて走り出す。疲れた顔をした母親から、何故か幸せの空気を感じ取る。ああ、これが愛すべき、刹那で、日常か。
次は向こうから、通りすがりの爺さんまで来てしまって、あの無愛想で肩も背中も凝ってそうな容態をしていても昔は愛らしい時期があったのだろうかと、自分の歳より大分長く遡った所へ思いを馳せる。
ねえ、愛すべき人よ、私は何時になったら人になれますか。あなたは何処にいらっしゃるのですか。
私には人の仕合せなど、わかりませぬか。
ただ一瞬の苦しさから逃げ果せた美しいこの空間で、不幸せなままで、ずっとここに居たい、帰りたくないと、時計を見つめるだけ。
私の苦しみの全部を預けられる人が居たら、私は楽になれますか。
何時になったら帰っても苦しくないですか。
何時になったらこの疲れは取れますか。
ただ、空に問いかけても何も無いから、却ってそれが良く私を癒してくれる。
何も無いのが正解だから。
それでも温もりは自らの体温のみで、全部、全部何処まで行っても自分だけだなと感じてしまう。癒しであり、慰めであり、諦めの空間。
辺りに他人が増えてきて、自分の存在だけ、此処に意味が無い。
余りの寂しさに少し寒くなってきて、帰りに道端の自販機でコーンポタージュの缶を買っていった。

そんな妄想をして、また寝た。
 




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