文学大賞 短編部門02
作者:風ゆらり
風のやわらかさや、晴れた日の空気の匂い。雨の日の、涙の残り香のようななつかしさと、曇りの日の、どこへでもいけるような寂しさ。どんな日にも、その日の香りがある。たとえば10月のある日の香りは、失ってしまった夢の香りだったし、今日の香りもきっとなにかを思い出させるだろう。わたしたちはそんな風に、いちにちいちにちの最中を、過ぎ去った思い出とともに生きて、生きて、生きている。できればわたしは、香りとともに思い出すのは、わたし自身の記憶がいい。そして、記憶や感覚を、例えば鮮烈で刺激的な情報なんかで上書きされたくない。わたしの記憶にはだれも入らないでほしいし、わたしも、だれかの記憶に入って邪魔したくない。だれかの気配、だれかのためらいがちなまなざし、言えなかった言葉、夢で終わらせた想い。そういうものだけでも、世界はじゅうぶん素敵だ。
きっとちゃんと生きている人たちのこころは、きっともっと境界線がしっかりしているのかもしれない。記憶に基づかない情報を投げあっても、生活をし合っても、うつくしさがきちんと守られているのかもしれない。それとも、もしかしてうつくしさなんてものは人々にとっては余白でたのしむものであって、人生の芯ではないのかもしれない。
生活しているとどうしても、社会というものはどうしても、言葉にもお金にもならないようなまだ名前もない感情を見過ごしてしまう。それが、わたしには哀しく思えてしかたない。
想っている。想っている、ということだけにもちゃんと存在する熱を、わたしは知っている。想いはいつも行動と一致しているとはかぎらない。きれいな世界をまもりたいせいで、ひととの距離感はいつもむずかしいけれど、でも、それでもわたしだって生きている。そうして、きっとみんなも、ちょっぴりたまにはもっとこころを感じてみたいんじゃないのかな、と思っている。ねえ、それならさ、わたしと一緒に休むのはどう?