入賞作品
応募作品5
応募作品19
応募作品43
応募作品62
応募作品81
入賞された方々、おめでとうございます。
作品は公開していますので、皆様ぜひお読みください。
受賞者のコメントをいただきましたので以下に掲載させていただきます。
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まや様より
今回、私の作品が入賞に選ばれたことを大変嬉しく思います。
作品についてのことを少し書かせて頂きたいと思います。『記憶のバックデータをとることが可能になる世界』というのは、作中にも出てくるように嫌な記憶を忘れることが出来ればその出来事は本人にとってなかったことになる、そうなれば私はもっと生きやすいだろうなあと思ったところから生まれた設定でした。もちろん、忘れたくない記憶をいつでも思い出せるようになれば…とも考えていました。そうして人々が生きやすくなる反面、『記憶』というものが本来どういうものであったかというのを忘れていってしまう、という展開になっていきました。
この引きこもり文学大賞のプロジェクトは本当に素晴らしく、自己肯定感を育むといった点では私に関して言いますとかなりそれが生まれつつあります。今回賞を頂いたことで、私にも誰かに読んで貰えるような文章が書けたんだということにも気付かされました。
私の作品に投票してくださった皆様、本当にありがとうございました。
次回開催されることがあれば、またぜひ参加させて頂きたいと思います。
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田中非凡様より
このような賞が設けられたことによって、たくさんの人に小説を読んでもらえることができとても嬉しく思っています。頂いた賞金は大切に使わせていただきます。ありがとうございました。
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2019年はひきこもりを取り巻く世界が大きく変化した年でした。
そのきっかけとなったのが、残念なことに「川崎市登戸通り魔事件」「元農林水産省事務次官による息子殺害事件」です。前者はひきこもり当事者が無差別に人を殺害し、後者は親がひきこもりの息子を殺害してしまいました。
これらの痛ましい事件が立て続けに起きたあと、世間の「ひきこもり」への関心が爆発的に高まりました。メディアは連日ひきこもりへの偏見を助長するような報道を行い、ネットには一般人によるひきこもりをバッシングする発言が溢れ、ひきこもりへの支援活動を行っている人々はそれらに対抗すべく連日駆け回っていました。
──世の中が大きく変わろうとしている。
6年間ひきこもり続けている長期ひきこもり当事者の私にも、大きな変化を感じました。この時、私を含め多くのひきこもりたちが「自分は相変わらずひきこもり続けなにも行動していないのに、世間が勝手に変化している」という不思議な体験をしたでしょう。
メディア、無関係の一般人、ひきこもり当事者、その家族、支援者、医者、福祉関係者、行政らが、連日それぞれの立場からひきこもり問題への意見を発信している中、「引きこもり文学大賞」は、どの集団にも属していない永世中立国のような場所に感じました。文学という盾や鎧を通じて安全に他人と交流できる環境は、ひきこもり当事者会にすら行けない私にとって居心地の良いもので、すぐに参加を決めました。
さて、話を2つの痛ましい事件に戻します。
今ふりかえってみても、「川崎市登戸通り魔事件」も「元農林水産省事務次官息子殺害事件」も、間違いなく起きる必要のない事件だったと断言できます。
誰だって人の命を奪ったり、奪われたりしたくないです。無差別に人を殺めたり、自分の子供を殺して、楽しいわけがないです。世の中や他人への怒りや憎しみで心を染めるだけでものすごく辛いでしょう。想像力を少しだけ働かせてみたら、誰にでもわかることです。
では、なぜこの2つの事件の起きたのか。一体何が加害者を殺人へ向かわせたのか?
このような疑問を抱いたとき、私の中に「誰がこもり虫を殺したの?」というお話が生まれました。
きっとこのお話を読んだ人は、心の中にたくさんの疑問が浮かんだと思います。
なぜ繭のこもり虫は嵐が過ぎたあとも出てこなかったのか?
繭のこもり虫は何が原因で死んだのか?
想像力を全力で働かせ、じっくり考えてみてください。ヒントはすべて文中にあります。「共感できる・できない」という感覚に頼り、考えることを放棄するのはナンセンスです。そして、あなたが自由に想像力を操れるようになったら、あなた自身の生きづらさはきっと軽減されますし、あなたの周りの人の幸福度も上がります。そうして巡り巡って世の中は少しずつ良くなっていくでしょう。
最後になりましたが、「引きこもり文学大賞」主催者の東徹さま、クラウドファンディングに参加しこの賞を支えてくださったみなさん、素晴らしい機会を与えてくださってありがとうございました。人からの支えがなければ成立しないという、唯一無二の奇跡のような文学賞です。
そして、数ある作品の中から私を見つけて選んでくださったみなさん、本当にありがとう。「引きこもり文学大賞」に関わってくれた全ての人に感謝しています。
六畳間の自室から、小森すずめより。
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主催者の東さま、クラウドファンディングの支援者と投票者の皆さま、このような機会をいただき、ありがとうございます。
今回、引きこもり文学大賞で入賞することができてとても嬉しいです。
応募資格がひきこもり当事者・経験者のみという世界初の文学大賞なので希少性が高く、空白の履歴書の自己PR欄にも書けそうです。
行き場のない承認欲求と自己顕示欲が少し満たされました(笑)
そして、ガッキーさん、ありがとうございます。
僕の作品が入賞したのは、新垣結衣の名前が含まれたタイトルだったからだと思います。
投票者の皆さまがすべての作品を読むのは大変だと思い、とにかく目をひく題名で勝負しました。
その結果、入賞できたのだと思います。
(この勢いでネットフリックスで映像化できないものだろうか)
引きこもり文学大賞は今回が第一回目です。果たして、二回目があるのかどうか。
今回で終わってしまえば、それはそれで伝説になりますが、やはり二回目があると嬉しいです。
その場合、今回よりもっと激戦が予想されますが、それはこの文学大賞の価値をより高めてくれると思います。
さとう学
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喜久井ヤシン様より
「ひきこもり」の体験は、自分にとって意味のないものでした。
人生を浪費するばかりで、後悔の絶えない年月だったという思いが、いまだにぬぐえないでいます。
しかし意味が「ある」か「ない」かだけでは、計れないものがあるようです。
苦しさを糧にして作品を生み出すアーティストがいるように、傷を受けた経験も、迷い悩んだ経験も、それだけで終わるものではありません。
意味が「ない」と思われることだったとしても、意味に「なる」ことがあります。
意味が「ある」か「ない」かではなく、意味に「なる」か「ならない」かという点では、私は自分の半生に、まだ結論を出していません。
何らかの活動をし、つながりが生まれていくなかでは、どれほど無意味で、無様で、歳月に食い散らかされたように思える人生でも、意味に「なる」かもしれない可能性が残されてしまっているためです。
今回の引きこもり文学大賞は、意味に「なる」ことのきっかけを与えてくれるものです。
このような機会を与えてくださったことに、感謝いたします。