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文学大賞 本編部門08  ドイツ皇帝の仮面舞踏会 作者 火星ソーダ

文学大賞 本編部門08

作者:久保田毒虫

 妹がドイツ連邦共和国の皇帝に即位することになった。アジア人女性としてドイツ皇帝になるのは歴史上初の快挙であった。

僕「子どもの頃はケンカばかりして、大人になってからはまともに口をきいたこともない妹がこんなにえらくなるとは思っていなかった…即位式の招待状が届いている。なんと!一応、家族の一員として参列して欲しいとは…16年間ひきこもった僕にどの面下げて式典に出席しろというのか…まさに一族の恥さらし…しかし迷惑をかけ続けた上にこの上更に欠席して妹のメンツを台無しにするのは気が引ける。止むをえない…我慢して対人恐怖症に耐えるしかないか…」

 新皇帝の戴冠式は粛々と終わった。従兄弟にしてムガル朝インド第一党の総統であるインド王も列席していた。次に、祝賀の仮面舞踏会が開かれ、僕も半強制的に参加することとなった。そこで、僕は公爵夫人に出会った。

僕「あぁ、思わず悲鳴をあげたくなる衝動を必死で押し殺すことしかできない。しかし、この緊張感マックス状態が続くとなぜか高揚感が押し寄せて来る。はしゃぎだしていつもならできないこともしたくなる。しかも、仮面を着けていれば気が楽だ。うん?なんだあの女性は?高貴なお方とお見受けするが、仮面の奥の瞳の下に隠している薄っすらとした陰、常人にはない異様な雰囲気がある。僕は新皇帝の兄ですが、あなたのお名前は?」

公爵夫人「私は宮廷に仕える者の一人で公爵夫人と申します。あなたが新しい陛下の兄上でしょうか?あなたに是非ともお会いしたかった。教養として社会不適応とはどのようなものなのか知っておきたかったもので。」

僕「そのことについてなら幾らでも話すことができますよ!僕はその道の専門家です。是非ともあなたに全てをお話したい!」

 仮面を着けたインド王の登場。

インド王「久しぶりだな、弟よ。もう何年も貴様の顔をみていないが、年だけ取って子どものままみたいだな。おお!こちらはなんと見め麗しいマドモワゼルか!愛という言葉は貴女のような方のためにふさわしい。」

公爵夫人「私も子どもです、大人の愛には値しません。」

僕「貴婦人よ、どうかこちらへ。邪魔をする者を交えずに話しましょう。」

 意気投合した僕と公爵夫人は互いに愛し合うようになり、ついに日本のとある大都市へと駆け落ちすることを決意した。

僕「生計を立てるために僕らは働くことにした。僕は警備の仕事に就いた。新品の制服にくるまれた僕をみてくれ、まるで軍隊の将校じゃないか!」」

公爵夫人「私は介護の仕事をすることにした。真新しい施設で、利用者の車いすを押す私をみて!まるで天使でしょう!」

僕と公爵夫人の唱和「貧しくても楽しい我が家とはこのことか!最初のころは気楽なものだった。全てが新しく物珍しく新鮮だった、下層社会とか底辺の生活とはこのようなものなのかと。」

公爵夫人「でも数年が経ち生活に慣れていき、また、持ち込んだ衣類に汚れや綻びが目につくようになり、諍いや争いが増えて、私たちは段々と変わっていった。」

僕「警備や介護の仕事に就けたのは、余りものの仕事だったからだ。僕らのような人間に、この日本という社会において、残されていたのはこうした仕事だけだった。」

公爵夫人「私は利用者の立場にたって一生懸命努力した。あの人たちができるだけ長く元気でいれるように、楽しく暮らせるように。だっていつかは私もあの人たちみたいにお世話になるんだろうから。計算してみたらすぐにわかるのに。私たちにはああいうところに入るのに必要なお金なんて不眠不休で働いても稼げないことが。裕福な人たちだけが誰かのお世話になって人生の最後を過ごせる。みんなわかっている。私だけがわかっていなかった。だから利用者をいじめて喜んでいるんだって。」

僕「高級車を誘導しながら漠然と感じていた。僕はいつかあそこに戻るんだって。ここにいるのは仮の姿なんだって。制服がボロボロになってもそんな気持ちのままでいた。でも段々とそんな思い上がりも克服できるようになってきた。生活費のために消費者金融から借金してさらにそういう考え方を臓腑の内から変えることができた。それでもなお、今現在働いているのに、自分は働いていないと心の中で何故か自分を責め続けていた。」

公爵夫人「ある偉い政治家は言ったそうだわ。この世には家族と召使いと敵しかいない。その露骨さであからさまで無意味な正直さは、反感と敵意と羞恥心を催す…でも現実的に現実の人々の感覚はそんなものじゃないの?人間なんて、所詮はどうせ自分が可愛いだけ。血がつながっていなければ、自己のエゴイズムに奉仕する人が善い人、そうでなければゴミ・クズ・カスそれだけでしょう。結局、どうでもいいような存在が世の普通の人たちの実存でしょう。自分の利益にならない人にエサを与えるほどのお人好しや愚か者はなかなかいない…そんな当たり前がわかってきた。」

僕「いつも仕事が続かなかった。妹は皇帝なのに、兄貴の僕はこのザマ…生きたまま埋葬されたも同然のひきこもり状態から抜けだしてきたのに…この思い上がりは、僕が仕事を転々とした理由の一つだった。でも結局は同じ業種でしか採用はなかった。そしてお金がなくて貧しければ、自分を虐待し、嘲弄し、搾取する人々との貧しい人間関係の間で生きるほかはないという残酷な現実にゆっくりとマヒしてきた。貧しくあわれで力がなければ、札びらで頬っぺたをひっぱたかれてしたくもないことをさせられ、殴打され、卑猥な言葉を投げかけられる。そんな暴力から愛する者を守ることすらできない。不快な思いをさせられるだけではなしに、取り返しのつかない一生残る傷痕をつけさせられる。そして傷口にはウジやハエのような人間がたかり、絶え間ない苦悩と苦痛に苛まされるのだった。」

公爵夫人「あの人は結局は性格が弱いから、気が優しいから、他人に組み伏せられて、乗じられて好きなように扱われる。そんな話しなのかしら。あの人のことを「美味しいヤツ」そんな言い方する人もいた。私たちは適当に利用されて、適当につかわれているだけなの?いつも騙されいいように扱われた。正直さも、誠実さも、純情でさえもこの大都市では、いえ、大人の世界では愚かさとしてしかみなされなかった。」

 インド王が再び登場する。

インド王「弟よ、相変わらずだな。苦労はお前を大人にしたか?」

僕「兄さん、僕は変わらない。ひきこもりのままだ。」

インド王「自分からひきこもりだなんて言うな。まるで、自分は宿なしの野良犬だから蹴り殺してくださいと言っているようなものだぞ。
 マドモワゼル、あなたはまだこんな男を愛しているのですか。この男が何をあなたに差し出せるのですか?愛さえもないではないか。」

公爵夫人「なんで不幸がこの世界にあるのかということが、私にとって与えられた課題でした。私は自由でありたくて、この性も、人格も、身分も、職業も、全て自由意志で選択した私の意志の発露だと思いたいの。言ってみれば世の中に存在する全ての記号をその場その場で自由自在に分離・結合させたいの。でもそこには意味がない。だから不自由にどうしようもなく魅かれる。何者でもない私が何かに限定されるから。」

インド王「その問いは、単にあなたが不幸だから苦しんでいるのを世界の問題にすり替えているだけでしょう。二人とも共に自分の本質は変われない、変わらないと信じている。近代の世俗化された科学主義に基づく、デカルト座標的空間把握と、直線的な時間把握という静的空間の物の見方にとらわれて動的な現実を見失っているとは思いませんか?こうポンと言われても何もわからないかもしれない。結論だけ言われても、過程を踏まえない限りは、思考の道筋は見えてこないものだ。つまり、何もかもそういうことだとは思いませんか?あなたたちは結果としての今という一瞬間のみをみて、そこに至るまでの過程を見落としている。でも、何もかもには目的があって、自らのあるべき姿を成就するための過程なのだとは何故考えないのですか?そのほうが現実の説明としてしっくりくるでしょう?」

公爵夫人「私はインドの女王になることを決意しました。私はもっと永遠で無限なものに近づきたいの。さらに不幸で、さらに理不尽な、灼熱の太陽に焼かれるようなひりひりした実存としての生きづらさを求めて。私はインド王ではなくてあなたを愛している。愛し続けている。私はあなたの神になりたいの。だから、あなたのために私はあなたの前から消える。」

 インド王と公爵夫人の退場。仮面を外した僕のモノローグ。

僕「絶対的で、根本的で、現代的な課題とは、破産した生をいかに再生できるのかという問いではないのだろうか?
 つまり、いかにあることが人間的なのかという問いへの旅程なのではないだろうか?
 この旅路で僕はさまざまな困難に、常に、いつも、絶えず、そして毎回さらされるだろう。その度ごとに、僕は自らに証明を試みなければならない。何度も僕は屈するだろう。度重なる妥協と、際限のない譲歩に、僕の精神はすり減らされていく。これは消耗戦なのか。しかしその度ごとに立ち返らなければならない。
 全ては、お前に相応しい人間となろうと志したから。
 伴侶よ。
 この一瞬一瞬がいつもお前と共にあることを信じている。
 この生は贖いとして、お前のために捧げる生。
 あまりにも輝きが眩しくて、でも確かにお前に惹きつけられ、虜囚の身となった。ひきこもり自閉する人生よりも、生きる重みにすり減っていく人生を、あるべき姿が何なのかも、何を求めているのかもわからないまま、彷徨い、もがき、のたうち回る人生を選ぶ。愛を証しするために不幸があると信じる。
 この生を供物としてお前に捧げる。
 お前をたびたび裏切るだろうし、それでも、悲しいことに、でも愛している。」

 




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