文学大賞 本編部門13
作者: ふき
この夏の間、何度か庭で水やりをした。蚊に悩まされるので、長袖のパーカーに長ズボン、フードをかぶり、そのうえにハットをのせ、マスクとメガネで顔を覆う。過剰ともいえるその恰好は、思いがけず人目を気にせず庭に出る助けにもなった。
昔から、シャワーを浴びて身なりを整えないと、どこか自分がみすぼらしく思えて、外に出るのが億劫だった。けれど、この恰好ならば自身を隠せているようで、朝起きてすぐに水やりに向かえる日も増えた。汗だくになるのは難点だが、少しぐらいならば我慢すればいい。身支度や人目の煩わしさを気にせず済むやり方を、ようやく見つけた気がしていた。
だが、庭より先に出るとなると、途端に気後れした。なにぶん見た目が怪しすぎる。夏休み中に滞在していた甥っ子に「完全に不審者の見た目じゃん」と笑われたこともあった。それでも門扉を出たところにも植木鉢が置いてあり、そこだけ水をやらないわけにもいかない。私は人が通らないようにと祈りながら、そそくさと水をまいた。通行人の足音が近づくたび、胸の奥がきゅっと縮むような気がした。きっと、変なやつが無駄に日焼け対策をしているとでも思われていることだろう。考えても仕方ないことだとわかっていても、想像ばかりが先立った。
それでも、ひとつ楽しみがあった。門扉の外に置かれたマツバボタンの鉢を眺めることだ。鉢から多肉の茎葉がこぼれんばかりに広がり、その先に花がすっと開く。赤の日もあれば、橙の日もある。時には白が混じることもあった。日ごとに咲く場所や色合いが変わり、そのたびに違う表情を見せてくれた。そんな移ろいに目を向けるきっかけをくれたのは、鉢の葉に止まっていたバッタの存在だった。
初めはマツバボタンの緑の肉厚の葉にまぎれていて、そこにいることに気づきもしなかった。知らずに水をかけると、米粒ほどの何かが弾けるように高く飛んだ。その小さな影は、ひとっ飛びで近くの鉢に移ると、着地してからは微動だにしない。顔を近づけても逃げる気配はなかった。ちいさな、ちいさなオンブバッタだった。
そのことを母に話すと、「耳をすますと、しゃりしゃりと葉を食べる音が聞こえるの」と、私の知らなかった答えが返ってきた。どうやら私が気づくより前から、この小さな来訪者はそこにいたらしい。
それ以来、水やりの前にまずバッタを探すようになった。花の上にいるときは、小さな緑の点がすぐに目に入るのでわかりやすかった。見つけた後はなるべく驚かせないよう、離れたところに水をそっと流し込んだが、それでもバッタはしばしば弾けるように跳ねてしまう。やがて一匹だけだと思っていたバッタは、いつの間にか三匹にまで増え、みなマツバボタンの周りに陣取った。さすがに全てを探しきるほどの余力もなく、次第に構わずに水をまくようになった。毎度驚かせて申し訳ないと思いながらも、跳ねる瞬間をどこか楽しみにしている自分がいた。
午前中の水やりを終えると、甥っ子に遊びのおねだりをされるのも夏の日課だった。朝早く宿題を済ませ、テレビゲームを終えると、手持ち無沙汰になるのだろう。そこで暇な私に相手を求めてくる。なるべく遊んでやりたい気持ちはあるが、ずっと付き合えるほど心に余裕がなかった。そこで、一日一回だけは必ず遊ぶという決まりをつくった。
以前は折り紙に付き合わされていたが、今はルービックキューブに夢中らしい。甥っ子はまだ手順を途中までしか覚えておらず、その先を私と一緒に調べながら覚えたいようだった。持参したキューブは二つしかなく、私はガチャガチャで入手したらしい安っぽい方を担当することになった。
甥っ子は自分が覚えたところまでを得意げに、けれど丁寧に何度も教えてくれた。ところがその途中で、私が無理に力を入れすぎて、そのちゃちなキューブのパーツが弾け飛ぶように壊れてしまったことがある。「前もバラバラになったんだよ」と甥っ子は、呆れるでも怒るでもなく、いつもの調子で一緒になって直してくれた。あとで聞くと、以前にも壊してしまい、パーツがなくなって、親に叱られたことがあったらしい。
そんなこともあり、私は自分用に千円ほどのルービックキューブを通販で買った。なにかに没頭するというのは、甥っ子にとっても私にとっても悪くないことのように思えた。黙々と手を動かしている時間は、余計な考えは湧いてこなかった。
やがて甥っ子は手順をすっかり覚え、難なく完成させられるようになった。私も遅れながら後を追い、どうにか一通り覚えた。黄、白、赤、橙、緑、青——六色がきれいに揃ったキューブを眺めると、淡い達成感がじわりと広がった。
手順を覚えると、次は完成までのタイムを競い合うことになった。私は一度たりとも勝つことができなかった。こっそり練習もしてみたが、甥っ子の手つきは日に日に速さを増していった。それでも彼は勝ち誇ることなく、ただ真剣にキューブを回していた。その素直さを見ていると、わがままなところもある子だが、良いところをそのまま伸ばして大いに成長してくればいい、とどこか他人事のように思った。
そんな甥っ子に頼まれて、ある日、近くの百円ショップへ出かけようとしたときのことだった。玄関の戸を開けて門扉へと向かう途中、足元でぴょんと跳ねるバッタとすれ違った。思わず立ち止まる。マツバボタンの周り以外で見るのは、これが初めてだった。
そういえば、以前にマツバボタンから弾かれた拍子に歩道まで飛び出したことはあった。アスファルトの上にぽつんと落ちた、ちっぽけな緑の粒を見て、とてもじゃないが自力でどこかへ行けるとは思えなかったのを覚えている。
そのバッタが今はひとまわり大きくなり、門扉の内側まで来ている。そしてこれから庭を探検するのだろうかと思うと胸がふくらんだ。思わず甥っ子に声をかけてみたが、彼は今跳ねたことにさえ気づいていないようだった。
それ以来、庭のあちこちで姿を見かけるようになった。とりわけ鉢が密集した一角の草むらには、新たに何匹かが潜んでいるらしかった。水をまくたび、草や鉢の陰から弾けるように跳び上がる。マツバボタンから旅立った子が少し大きくなったような個体も混じっていた。その中に一匹だけ薄茶色のバッタがいて、その姿を見つけた日は、ささやかな幸運に触れたような心地がした。
そうして日々が続くうちに、いつしか最初の面影がないほどに大きく育つものも出てきた。草むら近くにあったハンゲショウの葉は穴だらけで、その食べ跡が成長ぶりを物語る。母はその様子を見て、「巨大になりすぎ」と半ば呆れたように笑った。
夏休みが終わると、甥っ子は帰っていった。日に日に、バッタの姿も見かけなくなった。一方で、マツバボタンの色はむしろ賑やかだった。バッタに食べられることがなくなった茎葉は間延びしてだらけて見える。今まではバッタが剪定してくれていたのかもしれない。花芽も食べられていたのだろうか、より多くの数を咲かせるようになっていた。
マツバボタンの花は、赤、黄、橙、白——どこかルービックキューブの色を思わせる。緑は肉厚の葉で、青は空の色。そう考えれば、六面全色が揃っている。ふとルービックキューブに手を伸ばしたくなった。
机の上に無造作に置かれたルービックキューブを手に取り、手癖でくるくると回す。やがて手が止まり、記憶をたぐっては、黙々とキューブの面を揃えていく。完成が近づき、赤が揃った一面に、ひとつだけ緑の点が残った。その一色が、かつて花の上にいたバッタの姿と重なった。
それから、指先でキューブを何度か弾き、色がすべて整った。緑の一点は消え、マツバボタンと空の色だけが手の中に残った。
私は完成したルービックキューブを崩すと、またくるくると回し始めた。