文学大賞 本編部門13
作者:ぽのか先輩
・絶望の青春期
僕は引きこもりの精神障害者ですが、そうなってしまった大きな原因は兄から受けた虐待にあります。
暴力を振るわれたこともありましたが、暴言による精神的虐待が主でした。精神的虐待は物理的な虐待よりも辛く、心を刃物でズタズタにされるような感覚がありました。
しかし物理的な虐待に比べると目立たないので両親は問題視せず、よくある「兄弟間のじゃれあい」と見なし、兄を止めてくれませんでした。
さらに両親も僕に精神的虐待を行いました。兄ほどの暴言ではなかったのですが、なかなかきついからかいの言葉を浴びせてくるので、不条理や怒りを感じ、兄の暴言とあいまって、毎日くたくたに疲れてしまいました。
家族から暴言を受けてすっかり萎縮して大人しくなった僕は学校では恰好のからかいのターゲットになりました。
家庭と学校で色々な人から毎日のように朝から晩まで暴言を浴びせられ、からかわれ、笑われる。そんな日々が何年も続き、とうとう精神障害になってしまい、高校を中退し引きこもり生活を始めました。
世の中に絶望し、自分の人生にも絶望して、自殺未遂をしたりもしました。暗く辛い時期でした。
しばらくして心機一転した僕は引きこもりを辞めて精神科デイケアに通いました。そこで友人が何人かできました。特にK君という同じ歳の子と親しくなりました。彼も辛い過去を抱えており同じ悩みを共有する者同士とても気が合いました。デイケアが休みの日に遠くの町に遊びに行ったりもしました。
しかしそんな楽しい日も長くは続きませんでした。K君は自殺してしまいました。
さらに僕の体調も悪化。兄や両親や学校の同級生にやられたことを思い出し、鬱々とするようになりました。
「何も悪いことをしていないのに、どうして悪いことばかり起こるのだろう。自分は不幸の星のもとに生まれてしまったのだろうか。このまま一生自分は不幸なのかもしれない」
そんな思いがつのり、体調はさらに悪化。辛さを紛らわすためにお酒を飲み、どんどん体調を崩してどん底にまで落ちました。
・希望を見出す
しかし絶望することにも疲れました。
それにもう僕は30代後半のいい歳をしたおじいちゃんですから、いつまでも絶望に浸っているのも違うんじゃないか、そろそろ絶望から卒業して何か有意義なことを始めた方がいいんじゃないか、という心境になり、生き方を改めようと決意しました。
お酒を辞め、健康的な食生活を心がけ、運動もして、掃除や換気を定期的にやって家の中を綺麗にしました。すると気分が明るくなり前向きになりました。どんよりと曇っていた視界が晴れて目に映るもの全てが美しく見えました。
視聴する映画やドラマ、漫画や小説なども明るいものばかり選んで見るようにしたし、スポーツ選手や有名人やお笑い芸人など自分とは正反対の人たちの活躍を積極的に見て学ぶことで、より前向きな気持ちになれるように心がけました。
そうやって獲得した前向きな気持ちを活かして前向きになれるような小説を描いてみました。その時に描いた『マグネットマン』という小説が第三回引きこもり文学大賞の佳作に選ばれました。
感激した自分は心の中に生きる希望が灯るのを感じました。自殺のことばかり考えていた暗い心が完全に消え去って、希望を糧にして前向きに生きようとする新しい自分を感じました。
その調子で創作を続けることでさらに前向きになり、楽しいことや良いことを引き寄せることができました。そしてその楽しいことや良いことのおかげでさらに前向きになれました。
あらゆることに前向きに取り組むことができるようになりました。何をやっても楽しくて楽しくてしょうがなく、苦手だった運動も粘り強く継続し、お酒を飲み過ぎて一時は百六キロまであった体重も六十五キロにまで落とすことができました。
やはり人は希望によって生きるものだ。希望こそ人を正しく導いてくれるのだ。そう思いました。
・再び絶望
しかしそれから二年、三年と時が過ぎて高揚感が冷めていくと、PTSDの症状が強くなり次第に過去のことを思い出す頻度が高くなっていきました。
兄にモデルガンで撃たれたこと。ハサミを投げられたこと。お金を盗まれたこと。死ね、殺す、バカ、キモい、と暴言を言われたこと。両親に大勢の人の前でからかわれて生き恥をかかされたこと。学校で同級生や先生に笑われたこと。
あらゆる嫌な思い出が鮮やかに蘇ってきました。
どうしようもなく苛立ちました。
そして、復讐したい、あいつらを殴ってやりたい、包丁で滅多刺しにしてぶち殺してやりたい、塩酸を顔にぶっかけて人生をめちゃくちゃにし返してやりたい、といった強烈な怒りに飲み込まれそうになりました。
そうなってくると、だんだんネガティブな感情に捉われて、自分の人生がひどくつまらないものに思えてきました。
気弱でお人好しなのでリアルでもネットでも馬鹿にされて、笑われて、利用されて、金を騙し取ろうとする人たちにたかられる。なんてついてない人生だろう。そんな人生、面白くもなんともない。
「劣悪な環境で育ったのでいつも損ばかりしている。希望を抱いて輝いて生きている人たちは良い環境で生まれたからそうなれたのだ。人生は運で決まるのだ、環境で決まるのだ、その運から漏れてしまった自分は一生このまま劣等感や怒りを抱えながら生きていくのかもしれない。人生というものはなんて残酷なのだろう」
そう考えて絶望しました。
・生きがいを見つける
「世界は美しい」僕はそんなことを思っていました。確かに世界は美しいと思うし、希望に満ちているとも思います。しかしそれを享受できるのは先ほど書いた通り良い環境に生み落とされた人たちだけで、自分のような劣悪な環境に生み落とされた弱者は一生浮上できず絶望の底に沈んでいるしかないのではないか、と思います。
一応現在の僕の日常の中に小さな幸福はたくさんありますが、それらの小さな幸福を集めてみてもその総量は自分が背負っている過去の不幸を上回ることはできません。おまけに僕は気弱な人間なのでこれからも人から馬鹿にされて生きていくと思います。引きこもり差別や障害者差別も一生付いて回るだろうし、沖縄の人間なので沖縄差別も受けていくと思います。
それに日本はこれから経済的にますます衰退していくので格差や貧困はさらに拡大し、人々の不満や怒りがつのっていって、その捌け口として引きこもり差別や障害者差別や沖縄差別はより過酷なものになっていくと思います。マイノリティに対するネットの誹謗中傷も今よりもっとひどくなるでしょう。経済の衰退が原因なので僕たち当事者がいくら頑張って声を上げてもそれらを押しとどめることは絶対にできません。
僕たちは美しく希望に満ちた世界をただでさえ享受できない上に、現在の何倍もの深い不幸と絶望を味わうことが確定されているのです。
ではどうすればいいのでしょうか。
平凡な答えかもしれませんが、生きがいを見つけることが重要だと思います。
僕の生きがいは自分史を描くことです。僕は五十代になったら自分史を描こうと思っています。その目標のために本を読んで知識を蓄えつつ、毎日何かしらの文章を書いて文章力を鍛えるようにしています。日々の限られた時間の中でいかに読書をするか、いかに文章を書くかを常に考えて生活しています。
そういうふうに夢中になれることができたことで絶望を感じる頻度が少なくなったという実感があります。今のところまだ付け焼き刃の工夫に過ぎないかもしれませんが継続していけばこの生きがいが自分の心の中で大きくなっていって、絶望を遠ざけることができるようになるのではないかと思います。
僕の好きな小説にロシアの文豪ゴーゴリが描いた『外套』という作品があります。『外套』の主人公アカーキイは底辺中の底辺です。ブサイクで独身で彼女も友達もいなくて、金も地位もなくて愚鈍で間抜けで要領が悪く運もなく、同僚から馬鹿にされていますが、文章を書き写すという趣味を持っており、その趣味のおかげで幸福を感じながら生きています。どれほど底辺な人間でもこれほど豊かな幸福を獲得することができるのかと読むたびに驚いてしまいますし羨ましくなります(青空文庫でも読めるので是非読んでみてほしいです)。
アカーキイのように生きがいを持つことができれば、あらゆる絶望から無縁になって幸福に生きることができるのではないかと思います。
生きがいを持ち幸福を創造して絶望を乗り越える。
辛く苦しい日々を送る僕たちには難しい課題です。
しかし辛い経験を乗り越えてきた僕らにはできるはずです。
そしてその生きがいを通して得たものをネットなどを通じて発信するべきです。
発信することによって社会を根本から変えることはできないと思いますが、同じ境遇の人たちを励ましたり、支えになることができると思いますし、引きこもりではない人たちの心をも豊かにすることができると思います。またそうすることで自分自身の精神も豊かにすることができるはずです。
僕たちは地獄を見たからこそ優しさや思いやりや希望や幸福を創造することができます。それらを自分の心の中に育み、周りの人たちにも分け与え合えれば、きっと絶望を乗り越えて新しい幸福な人生を獲得できると思います。