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応募作品43

誰がこもり虫を殺したの?

ペンネーム:小森すずめ

丘の上のぶなの木に、こもり虫の繭がひっそりとぶら下がっていた。

こもり虫は、生まれた時は蝶やとんぼやカブト虫といった、別の種類の虫であった。しかし幼生期を経て羽化をしたら、土色の体になるはずが、顔貌は幼虫のまま生白く、翅は半透明の薄緑色をしていた。

その薄緑色の翅は薄く柔らかで、飛行には不向きであった。かろうじて宙を飛ぶことはできたが、飛ぶとへとへとに疲れてしまった。そうして、やっとの思いで幹の高い所にある樹液の溜り場にたどり着いても、周りの虫たちが食事の輪に入れてくれなかった。

「あいつは幼虫のような見た目で気味が悪い」

「飛ぶ姿もふらふらしていて、おかしなやつだ」

いつもノケモノにされ、容赦のない罵倒と嘲笑を浴びせられた。時には足蹴にされることもあった。

自分は出来損ないのまがいものではないか。

そんな考えがふと浮かび、次第に頭がぼんやりとし始めた。十分な食事を摂れずやせ細り、生きているのか死んでいるのかさえわからぬような日々が続いた。

このまま死んでもいい。死んだほうがましかもしれない。

そう思うようになったころ、ある日突然、体の表面にねばねばした液が滲みだした。液は乾いて繊維状になり、やがて体をすっぽりと覆う堅く分厚い繭になった。以来、繭の中にこもり続け、腹が減ったら他の虫がいない時を見計らい、こっそりと樹液を吸う暮らしをしている。

ある晩、いつものようにこっそりと樹液を吸っていたら、運悪くカブト虫と遭遇してしまった。すると相手がこう叫んだ。

「こもり虫が繭から出てきたぞ!」

《こもり虫》というのが自分のことだと、一瞬でわかった。そして「自分は出来損ないのまがいものではないか」という問いへの答えが見つかったような気もした。

あぁ、そうか。自分はこもり虫というのか。

新たな名前をすんなりと受け入れ──そうしてこもり虫になった。丘には昔から数匹のこもり虫がいるが、どれも最初からこもり虫として生まれてきたわけではない。このようにしてこもり虫になったのである。

樹液の溜り場を追いやられ、足で繭に逃げ帰ると、無用の長物だと体が判断したのか、薄緑色の翅がボロッと抜け落ちた。こもり虫は、生白くずんぐりとした胴を見て震え上がった。

こんな恥ずかしい姿では、ますます笑われるに違いない。

そう思うと繭から出るのがなおさら恐ろしくなった。もはや繭の中だけが、こもり虫が安心して過ごせる場所だった。

長い月日が経った。繭の中では時の流れを感じにくく、毎日が昨日の繰り返しのようであった。

しかし変化は突然訪れた。

夏も盛りをすぎた頃に、大きな嵐が丘を襲ったのだ。びゅうびゅうと強い風が吹き、叩きつけるように雨が降り、近くの川は氾濫し、稲妻が木を裂いて燃やした。

こもり虫は、しばらくは枝にぶら下がったまま耐えていたが、強い風に煽られ、根の洞に転がり落ちてしまった。その衝撃で繭がぱっくりと破れた。こもり虫は他の虫に見つかることを恐れ、暗闇の中で破れた繭を引き被り、震えて縮こまった。幸いにもぶなの木は丘の一番高いところにあったので、洞が浸水することはなかったが、それでも外から聞こえてくる雨風の音は凄まじく、木の根が揺れるほどであった。

嵐は三日三晩も丘をなぶり続けた。数日後、洞に一条の光が差し込んだ。やっと嵐が過ぎ去ったらしい。腹が減ったこもり虫は、頭に破れた繭を引っかけたまま、洞からおそるおそる顔を出し──目を剥いた。

そこはこもり虫が知っている丘ではなくなっていた。

周りの森はすっかり水浸しになり、丘は湖に浮かぶ小島のようにぽつんとしている。木々は薙ぎ倒され、地面は木片と穴ぼこだらけになり、虫は一匹もいなくなっていた。

こもり虫は破れた繭を捨て、辺りを見渡した。本当に誰もいなくなったのか知りたくて、試しに「おーい」と呼びかけてみたが、遠くでセキレイが鳴く声以外、何も聞こえてこなかった。

しばらく呆けたようにその場に立ち尽くした。あまりのことに呆然とするしかなかった。空は青く澄み渡り、風は心地よく、日の光は冷え切った体を温めてくれた。そうしていると、とうの昔に忘れ去った清々しさが思い出された。

こもり虫は、倒れた木の樹液で腹を満たしてから、丘を散策しはじめた。誰もいないので、堂々と出歩くことができた。

丘の至る所に虫の死骸や千切れた手足が散らばっていた。固い繭を持たない虫は死んだか、遠くへ吹き飛ばされてしまったらしい。悲惨な光景の中、こもり虫は、自分は固い繭に閉じこもっていたからこの大嵐の中で生き延びることができたのだろうと察した。そして、命が助かったことを、不思議と有り難く思えた。

次の日から、日の出とともに目覚め、日がな一日のびのびと丘を散策するようになった。柔らかい葉も、甘い樹液も、かぐわしい花も、何もかもを気ままに独り占めできて、大満足であった。夜は満天の星を仰ぎながら眠った。久しぶりに見る外の世界は美しく、楽しかった。それらを自ら遠ざけ、繭の中にこもり続けた自分は、なんて大馬鹿者だったのだろう。そう後悔するほど良い気分だった。

しかし、何日か経つと寂しさが込み上げてきた。繭の中にいた頃は、あれほど恐ろしく憎らしかった他の虫らが、今となっては懐かしくさえ思い始めた。

ひとりは気ままだが、一生という時間はひとりで生きるには長すぎる。

もしも誰かが生きのびていたら、生きのびたもの同士という縁で、仲良くできるかもしれない。

そう思ったこもり虫は、他に生きている虫はいないか探し始めた。

数日後。楡の下生えに、こもり虫の繭がひとつ転がっているのを見つけた。

その繭は酷く傷んでいた。泥にまみれ、ところどころ破れている。よくよく見ると、蜂の毒針が刺した穴や、バッタの噛み跡や、蝉のしょんべんの染みもあった。

こんなにボロボロだったら、中のこもり虫は死んだかとっくに逃げ出しただろう。

そう落胆しかけたが、上のほうの穴から、ギラリとこちらを見つめる両の目に気付いた。

生きている!

こもり虫は嬉々として穴に向かって話しかけた。

「もしもし、もしもし」

返事はなかった。しかし、相手が中にいるのがわかっていたので、「もしもし」と、根気よく話しかけ続けた。少しのあと、「なんでしょう」と、消え入りそうなほどか細い声がした。

「ああ、良かった。やはり中にいらっしゃったのですね」

「…………」

「はじめまして。私もあなたと同じこもり虫です」

「…………」

「もう外は安全ですよ。恐ろしい嵐は過ぎ去りましたし、みんな死んでしまって、この丘には私とあなたしかいませんからね。私たちは運良く生きのびた、最後の2匹なんです」

「…………」

「さぁ、繭にこもるのをやめて、お出でなさい。外の世界は楽しいですよ」

こもり虫がやさしく話しかけても、やはり返事はない。

「どうして何も言ってくれないのです」

ややあってから、「放っておいてください」と、そっけない声が返ってきた。

「なぜですか。理由をお聞かせください」

「あなたが恐ろしいからです」

「怖がらないでください。私もあなたと同じこもり虫ですよ」

「あなたがいくら外の世界は安全で楽しいものだとお話してくださっても、信じられません。私はこの繭の中でしか安心できませんし、独りでいることが幸せなのです」

「独りが幸せだなんて、馬鹿をおっしゃいますな。あなたと私は仲間です。それも、この丘でたった2匹の仲間なんですよ」

「私はあなたと仲間ではありません」

楡のこもり虫はそう言ったきり黙り込んだ。いくらこもり虫が話しかけても応えることはなかった。

こもり虫は途方に暮れてしまった。それと同時に、ここまで意固地になるなんて、今までさぞ嫌な目に合ってきたのだろうと、同情の念が起きた。楡のこもり虫には、もう自分しか仲間がいないのだから、やさしく接してやるべきだという、責任も感じた。

次の日から、こもり虫は日に3度は繭を訪れた。そして丘にかろうじて残っていた、鮮やかな花びらや、いい匂いの花粉や、甘い樹液を繭の周りに並べ、日差しのあたたかな匂いや、おもしろい風の音や、七色の虹や星のきらめきについて、滔々と語り続けた。

日に3度の訪問が、4度5度と増えていった。やはり繭の中から何の反応も無い。それどころか、こもり虫を拒絶するかのように、得も言われぬ悪臭を漂わせるようになった。

こもり虫は腹を立て始めた。

「私が一生懸命手を差し伸べているのに、無視するだなんて、冷たいやつだ」

「あなたは《こもり虫》ではなく《いじけ虫》と名乗った方がよいのでは?」

そんな恨み言を漏らすようになったが、言った端から「これで相手が繭から出てこず、永遠にひとりで生きることになったらどうしよう」という恐怖に襲われ、今度は土に額をつけて「酷いことを言ってごめんなさい。お願いだから出てきてください。私にはもうあなたしかいないのです」と懇願した。

繭にやさしい言葉を掛け、腹を立て恨み言を言い、癇癪を起こしては足蹴にし、無礼を詫び、出てきてくれと懇願する。それらを繰り返している内に、森の水は引き、木の葉は色づき少しずつ落ち始めた。

いつものように怒りに任せて繭に蹴りを入れた時だった。固くてびくともしなかった繭に、足がズボッと突き刺さった。それからピシャッと茶色い汁が漏れ、腐爛した臭気が鼻をついた。のぞいて見ると、繭の中には何もいなかった。ぽっかりとした空洞が広がり、底にへどろのような茶色い汁が溜まっているだけだった。

こもり虫は喉が破れるほどの叫び声をあげた。悲鳴とも絶叫ともつかぬ、うねるような恐ろしい叫び声だった。

穴が空いたことで繭は形を保てなくなり、萎びた鬼灯のようにくしゃっと潰れた。

それを見たこもり虫はますます叫んだ。そして潰れた繭の周りで気が違ったように哭き続け、キリキリ舞いをし、ばったり倒れて地を這い、干からびて死んでしまった。




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Opinions

  1. Post comment

    こもり虫のやりとりを鮮明にイメージしながら一気に読むことができました!世の中には自分の価値観では計り知れないことがたくさんありますが、隠れて出てこない虫の気持ちはどのようなものであったか、分からないだけにお話に深みがありましたね。

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  2. Post comment

    他の虫とのやりとり部分は想像力で世界を頭に描くのに少し苦労しましたが、ひとりになってからはとても読みやすくなり、こもり虫の爽快感にも共感しやすかったです。
    にしても、予想外の結末に、中途半端なハッピーエンドには無い、スカッと気分が晴れた感じがしました。

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  3. Post comment

    社会的な生きづらさ(いじめ)、引きこもりを、虫の物語で例えた、筆者の力量に感服。
    周囲からの介入や天災など、自分の力ではどうしようもないファクターも、見事にストーリーの出来事の中に落とし込んでいる。
    引きこもりになった人の、その後の明・暗も描き分けており、多様な解釈を呼び起こさせる秀作。

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