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応募作品62

もしも新垣結衣がひきこもりの支援者なら

ペンネーム:さとう学

ある日、僕の部屋に新垣結衣がいた。

 

「ガ、ガッキー……!?」と僕はつぶやいた。ドラマやCMでよく見かける顔だ。メガネをかけているけれど、それだけでは彼女のオーラは隠せない。かわいい。だけど、なぜ僕の部屋にいるのだろうか。

 

「わたし、こういう者です」とガッキーが名刺を渡した。そこには『古垣結衣(ふるがきゆい) ひきこもり支援担当官』と書かれてあった。

 

 

僕はとまどった。どうみても新垣結衣なのに古垣結衣と偽名を名乗るなんて。いや、どうせ偽名を名乗るのならば本名とまったくちがう名前にしたほうがいいんじゃないだろうか。そして、ひきこもり支援担当官という肩書き。どうみても怪しい。

 

 

「いや、あなた、ガッキーでしょう」と僕は彼女に言った。

 

「そうです。古垣です。ひきこもり支援担当官です」ガッキーはメガネの真ん中にあるブリッジを中指でくいっと上げながらこたえた。

 

 

僕は頭をフル回転させてこの状況を理解しようとした。新垣にしても古垣にしてもガッキーには変わらないけれど……。女優のほうのガッキーにそっくりだ。まさか闇営業? いずれにせよ、彼女がガッキーだと仮定したとしてもなぜ僕の部屋にいるのだろうか。

 

 

「あなたは、学さんですね?」ガッキーは僕の部屋を見回しながら言った。

 

「なぜ、僕の家に入ることができた? なぜ、僕の部屋に入ることができた?」僕は彼女の質問には答えず、震えた声で疑問をぶつけた。

 

「お母さまから家の鍵をあずかったんです。学さんの部屋に入ることができたのは、この時間帯に少年ジャンプをコンビニに立ち読みにいくという情報を事前に入手していたからです」とガッキーは淡々と語った。「そうそう、ハンターハンターはまた休載でしたか?」

 

 

ハンターハンターはまた休載だった。この漫画が少年ジャンプに掲載されると僕は勇気をふりしぼってハローワークに出かけることにしていた。

 

 

自分でもよくわからないが、そういうルールを決めていた。強迫的なマイルール。震えるほどのマイソウル。

 

 

僕は何度も休載している冨樫義博という漫画家に感情移入していた。「なぜあんなに休んでいるのに許されるのか」と罵倒されても、圧倒的な才能でそれらの批判をねじ伏せる。天才はこの世の理(ことわり)を打ち砕く。その姿にしびれ、あこがれた。

 

 

「母親が勝手に僕の部屋に入れたのか」僕は怒りをおさえながら言った。今はハンターハンターのことは関係ない。

 

「お母さまも苦しんでいるんです。それはわかってあげて下さい。早くこの状態から抜け出しましょう。わたしが来たのはそのお手伝いをするためです」とガッキーは言った。

 

 

その言葉は、僕にとって死刑宣告のように感じられた。このままではダメだとわかっている。わかっているけれど……。

 

 

「今更、社会に出ても手遅れなんだよ。誰が僕を雇ってくれる? 空白だらけの履歴書なんだぜ」と僕はうなだれた。

 

 

ひきこもり問題がテレビなどのマスメディアで報道されると、「働けよ、クズども」「生活保護をうけてオレたちの税金を食いつぶす気か、早く死ね」とネットで叩く人がいる。

 

 

だけど、もしあなたが会社の経営者なら、何十年もひきこもっている人間を雇うのだろうか。もしあなたの部下に何十年もひきこもっていた人間が配属されたなら、嬉しいだろうか。

 

 

「確かに。わたしが経営者ならまず雇いませんね」ガッキーはうなずいた。

 

「だろう? もうおしまいなんだよ」

 

 

ガッキーはだまって僕の部屋のカーテンを開けた。日差しがわずかに部屋に差し込んだ。彼女は窓から外をながめた。

 

 

「学さんがおしまいと思うならおしまいなんでしょう。でも、わたしはそう思わないですよ」と言って、ガッキーは窓を開けた。

 

「何でだよ」僕は言った。

 

「だって、わたしがここに来たから」ガッキーは僕のほうを振りかえって笑顔で言った。

 

 

窓からさわやかな風が入ってきた。窓を開けたのは何年ぶりだろうか。

 

 

「バタフライ効果って知ってます? ブラジルでの蝶の羽ばたきがアメリカで竜巻を引き起こすんです。ちょっとした出来事が大きな現象を生み出すという意味なんですが、わたしが学さんと今こうして話していることがそれなんだと思います。もっとも、わたしには竜巻を引き起こせませんが、そよ風を招くていどなら可能かもしれません」と言って、ガッキーはまた窓のほうにむかっていった。

 

 

彼女の髪が風で揺らめいていた。陽光に照らされた彼女の姿は、まるで天使のようで僕は息を呑んだ。

 

 

「難しそうな本を読むんですね」ガッキーは僕の本棚を見ながら言った。

 

「ああ、それか。自分の黒歴史だよ」

 

「どうしてですか? 最近は本を読む人も少ないですよ。ましてや、こんな難解な本を読む人はかぎられていると思います。学さんは、もっと自信をもっていいです」

 

 

「自分が社会のゴミでクズ野郎だとわかっている。だから、逆に周りをバカにすることで相対的に優位に立とうと思ったんだよ」僕はうつむきながら言った。

 

 

日々、僕は天下国家を考え、日本の将来を憂えた。自分の将来を憂えろという話だが、そのときは気がつかない。中国や韓国に対する日本政府の弱腰外交に腹を立て、米国追従の姿勢に疑問を持った。ひきこもっている自分に疑問を持てという話だが、そのときは気がつかない。母親に暴言を吐き、お小遣いをもらいながら、天下国家を語る滑稽さ。

 

 

満員電車に乗るサラリーマンたちを思考停止した社畜と侮蔑し、僕は難解の本を読んでいるからあのような愚民たちとはちがうと自分に言い聞かせた。いま思えば、まるで推理力ゼロの安楽椅子探偵のようにまぬけだった。

 

 

自分の立場を正当化するために他者をおとしめるやり方はよくあることだ。不登校を擁護するあまり、学校に行っているほうがおかしいと言うように。

 

 

それなのに、僕は自分以外はみんな愚民という危うい考えに至ってしまった。長期間、クローズドな空間にいると人はおかしくなるんだと思う。

 

 

世界が密室になったとき、事件はおきる。最初の犠牲者は僕だった。安楽椅子探偵を気取った自分が密室で殺されかけるという皮肉。真綿で首をしめられるような、ゆるやかな自殺だ。けっして安楽死ではない。だれもが死にむかって生きているが、僕はそのルートをショートカットしようとした。その行為は、他の人間より自分のほうが感性がするどく優秀だと言い聞かせる手段だった。

 

 

密室は人から正気をうばい、狂気を生み出す。それはときにすぐれた哲学まで昇華させることはあるが、たいていは失敗する。なぜなら、哲学のためにひきこもっているわけではなく、ひきこもっている自分を安心させるために張りぼての哲学をしているにすぎないから。そこに情熱も熱意もない。あるのは、ただの欺瞞だ。

 

 

気づいたら、僕は涙を流していた。

 

 

「学さん、あなたはとても勇気がある人です」ガッキーはそう言って僕を抱きしめた。

 

「ガッキー……」僕は震える声で言った。

 

「ひきこもりから抜け出すのは、自分の一部を否定することなんだと思います。ひきこもっている自分を否定しないと外に出られない。でも、否定しすぎると自分が耐えられず、外に出る気力さえ奪われてしまう。だから、自分を肯定してあげる。自分を褒めてあげる。ちょっとしたことでもいいと思うんです。今日はコンビニでジャンプを立ち読みできたとかね」ガッキーは僕の顔を見て微笑んだ。

 

「ハンターハンターは休載していたけどね」僕は照れ隠しのためにそう言った。

 

 

「ふふ、そうですね」ガッキーは少し笑って言葉をつづけた。「ひきこもりが悪いわけではないです。わたしだって休みの日は自宅でずっとひきこもっていますから。問題なのは、ひきこもりすぎてつらくなること。それをふせぐために、自分を肯定しながら否定する。その舵取りが大事なんじゃないでしょうか。下手をすれば、座礁しかねないですから。灯台をいくつも設置し、仲間を増やし、自分の航海技術をあげるのが大切だと思います」

 

 

僕はあいにく『ワンピース』は好きではないけれど、彼女の言葉は不思議と胸に響いた。

 

 

 

 

僕はテレビを消した。録画していたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の最終回を見終わった。このドラマに出ていたガッキーが、あの“ガッキー”と同一人物かは今でもわからない。

 

ただ、”ガッキー“が帰り際に言った言葉はおぼえている。

 

 

「ハンガリーにこんなことわざがあります。『逃げるは恥だが役に立つ』。どんなぶざまな逃げ方でも生き抜くことが大切なんです」彼女は僕の本棚にあったサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の背表紙にふれながら言った。

 

 

その光景を思い出したとき、僕はハローワークに行く道中で動けなくなってしまった。今の僕は、卑小な生を選ぼうとしているのだろうか。

 

 

「インチキだ」と僕は自分のスニーカーを見ながらつぶやいた。ひさしぶりに履いたマイシューズは、目立った汚れもなくソールも減っていない。僕の魂(ソウル)と正反対だ。

 

 

ハローワークのある職員の顔を思い浮かべた。彼は僕の履歴書をみてため息をついた。「ライ麦畑の崖から落ちたような経歴ですね。もっとも、わたしも同じようなものですが」と彼は言った。

 

 

彼は非正規雇用だという。つぎの契約更新はされないらしい。ゾンビ映画を観たときと同じ気分になった。一番頼りになる人がすでに感染していた。

 

 

崖に落ちそうな人はたくさんいる。それをキャッチする人もたくさんいる。だけど、崖から落ちた人を引き上げる人はいない。ハローワークの求人票にも載っていない。

 

 

僕はきびすをかえして走り出した。自分がゾンビじゃないことを確認するために走り続けた。僕は崖の下の住人。そして、生きている。




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Opinions

  1. Post comment

    面白い。
    情景が目に浮かぶ。のが悔しい。
    ガッキーが喋っている。その想像だけでちょっと腹が立つ。
    フィクションの中にリアリティと心情を織り込む。
    悲哀と笑いは相性が良い。
    巧み。

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  2. Post comment

    引きこもりの話なのに、爽快感すら漂う筆致が秀逸。
    単なるハッピーエンドにはせず、それでいて絶望でもない。
    ガッキーにも重要なことをしゃべらせている。組み立てがうまい。

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