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文学大賞 本編部門18 引きこもり歴20年のプロが教える積極的逃げのススメ 作者 志摩杜史

引きこもり文学大賞 本編部門18

作者:志摩杜史

 引きこもり。何時聞いてもネガティブな響きがする言葉だ。引きこもりは悪いことであるという認識は今や常識になっている。また、引きこもりは非生産性と同義語である。引きこもりは、生きている資格がないと言われているに等しい。引きこもりの裏返しの言葉、人は一人では生きていけないというのもよく言われる。すでに手垢が付いた常套句である。私はこんな言葉を聞く度に虫唾が走る。本当に、人は引きこもってはいけないのだろうか?
 私自身の経験を述べたい。私は幼少期から体が弱く発育も悪かったので、いわゆるいじめられっ子だった。それでも小学生の頃は友達も多く、活発で元気のよい子供だった。しかし、親の都合で中学入学とともに転校した時からは毎日が地獄の日々だった。中学生になっても、クラスで私だけ小学生の体だった。よそ者のうえ、体の小さい私がいじめの標的にされないわけがなかった。高校に入学しても発育は追いつかず、スポーツも不得手で貧相な体格だった私は暴行などのいじめに遭った。しかも、高校の時のいじめは中学の時と比べるとさらに陰湿だった。私がクラス内で暴行や無視をされていても、同級生は関わりたくないのか傍観されているだけだった。誰も助けてくれず一層、孤立感を深めた。一方、教師はいじめを知っていてもいつも見て見ぬふりをしていた。思春期にこんな体験をすれば当然トラウマになり、私はいつしか人が信じられなくなった。
 それでも、私は大学を卒業して社会人になった。卒業時には体格も人並み以上になったので肉体的なコンプレックスだけは解消された。また、大学時代には何でも話せる親友も何人かできた。ただ、社会人になっても私はストレートに会社に馴染めなかった。私は会社訪問をして会社に入ったが、周りにはコネ入社した者も多かった。入社早々、上役から露骨に目を掛けられている人間を目にするのは不愉快極まりなかった。会社で出世するには実力だけでなく、上司の好き嫌いなどが昇進の基準になっていることを知った。私が新卒で就職した頃は、ちょうど日本がバブル景気に沸いていた頃だった。
 繁忙期、私は一度激務で倒れたことがあった。その時、私は病床で資格を取ろうと思い立った。資格を取ればいつか独立できるかもしれないと考えた。私は資格を取って独立することをモチベーションに資格取得に励んだ。同時に、コミュニケーション能力を高めるため夜間に通っていた資格スクールでも、積極的に友人を作ろうと励んだ。資格取得という共通の目的のある人間同士なら、よい友人になれるのではないかと考えた。しかし、その期待は裏切られた。仕事をしながら資格を取得するのは容易なことではなく、何回も受験を重ねるうち、気持ちが荒んで相手を過度にライバル視してくるような人が多数いた。私は後々、受験仲間だと信じていた人たちから様々な嫌がらせや妨害を頻繁に受けるようになった。会社のように利害関係がないと思った自分が甘かった。私の持論だが、ひとりや孤独を怖がるあまり、積極的に友人を作ろうとしなくてもよいと思う。無理やり相手に合わせてその上、裏切られたりしたら傷つくの自分自身である。私も働きながら資格を取得することを考えたが現実は甘くなく、会社を辞めて三度目の挑戦でやっと合格することができた。
 その後、経験を積むために念願のコンサルタント会社にも就職することができた。しかし、そこでも理不尽な思いをたくさんすることになった。入社した新設の政府系コンサルタント会社の人員は寄せ集め感が強かった。役員は関係各省庁や政府系金融機関からの人間ばかりで、それ以外は私のような新規採用社員が数名と出資元からの出向者だった。私の持論だが、会社の人間などある意味、たまたま電車で隣に座ったような人と同じ感覚である。大学は年齢も学力も同じようなレベルで共通点も多いが、会社では価値観がまったく異なるような人間と机を並べて仕事をすることを強いられる。お互い様だが、どこの馬の骨かわからないような人間と一緒に仕事をすることにストレスを感じないはずがない。私の場合、同僚から暴行や嫌がらせを受けただけでなく、直属の上司が無責任極まりない人間だった。仕事を途中で放り投げ、上手くいかない案件は私に押し付けて責任転嫁することもあった。私は度重なるトラブルやストレスから過敏性腸症候群になり、通勤途中毎日のように途中下車して駅のトイレに駆け込んだ。私はこの会社にいたらよくて鬱病、下手したら殺されるかもしれないと考えた。仕事はスケールも大きく遣り甲斐もあって面白かったが結局、自分の身を守るため六年で会社を辞めた。思うに、学校でも会社でも組織があれば、そこに必ずいじめが発生する。いじめは楽しいゲームだから子供だけでなく大人も、こぞって参加してくる。また、いじめは虐められる方にも問題がある、悪いというロジックは私が子供の頃から五十年以上たった今でもまったく変わっていない。
 会社を辞めた私は資格で独立することを考えた。元々一人で仕事をすることが好きだったので私はいわゆる、引きこもりは性に合っていた。引きこもりの良さは極力、嫌いな人間と関わらなくて済むことだ。気の合う人間とだけ仕事ができるのは引きこもりの最大のメリットである。21世紀になり、パソコンやネット環境が整ったことで、一人でいる孤立感もほとんど感じなかった。私はコンサルタントとしては成功できなかったが、独立してから五冊の著書を上梓することができた。しかし、もし会社にいながら本を書こうと思っても、おそらく一冊も書くことができなかっただろう。一人でいたからこそ、できた出版だった。
 先日、二十年振りで大学時代の友人たちに会った。しかし、彼等とはまるで昨日も会ったように自然に会話することができた。二十年の時間など一瞬で埋まったこともわかった。また、私は若い頃から登山や旅行が趣味だが、何よりも一人で行くのが好きだ。一人で山歩きをしている時は大自然と一体になる感覚がして、しみじみ癒される気がする。人生至福の時間である。こんな感覚は何万人も収容できるドームやスタジアムで野球やサッカーを観戦して、一体感を喜んでいるような人たちにはけっして味わえない感覚だと思う。
 世の中は引きこもり、イコール悪いことという誤った常識がある。しかし、私は自分がいて居場所がないとか、そこにいることで不快に感じる組織からは逃げ出してもよいと思う。また、社会に出たら、あえて合わない人間とは付き合わなくてよいと思う。私流、積極的逃げのススメである。人生、嫌な場所や嫌いな人間からは逃げるべきだ。馴染めない組織や嫌いな人といる間に、人生はあっという過ぎ時は立ってしまう。人生は誰でも一度切りだ。そう考えたら、正当に評価をされない場所や嫌いな人間のいるところに長居している暇などないはずだ。自分を殺すことで得られた安定や幸福など所詮まやかしで、私から見たら愚の骨頂である。好きなことをしないで生きてきた人が自分の人生を最後に振り返った時、幸せだと思えるはずがないと思うからだ。
 私は創造的な仕事をする人は案外、引きこもりが性に合っている人が多いと考える。組織の中にいると雑音が入ったり、人に惑わされたりして集中できないことが多い。そんな時、むしろ一人になることをオススメする。一人になって自然の声に耳を澄ましてみるとふとアイデアが浮かぶことがある。私はよいアイデアが思い浮かばなかったりした時、散歩することにしている。そうするとどこからか突然、よいアイデアが浮かんでくることがある。多分、会社にいたら絶対にありえない感覚だろうと思う。
 東日本大震災から言われ続けてきた絆、繋がりといった文言はたしかに説得力がある。人は一人では生きていけないのも事実である。ただ、それも度が過ぎれば自分が破壊されることもある。今の子供たちは私たちが子供の頃より劣悪な環境で生きていると思う。スマホさえあればいつでもどこでも気軽にラインできるので、学校でもいつの間にかコミュニティが出来上がってしまう。そこから省かれた子供たちは一層疎外感を感じ、生きにくい世の中になった。私たちが子供の頃はたとえ一時的に仲間外れにされても、時が経てば自然に仲直りすることもできた。しかし、現代のようなSNS全盛の時こそ、自分の居場所をきちんと持たないと危険である。引きこもりの強さと言えば笑われそうだが、引きこもらないと絶対にできないこともあることを知ってもらいたい。自分をしっかり持てば、引きこもりなんか全然怖くない。非難したい人間には言わせておけばよい。自分の人生を特定の組織や他人に委ねるべきではない。自分の人生はすべて自分で決める。そうすれば、人生を豊かにすることができる。
 




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