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文学大賞 本編部門21 ミサエ 作者名 〆切抜刀斎

引きこもり文学大賞 本編部門21

作者:〆切抜刀斎

「仕事に行ってくる」とオレは二階にいるミサエに向かって話しかけた。いや、怒鳴ったと言ったほうが近い。

 いつものように何の返事もなかった。だけど、気配だけは感じる。オレが家を出たらリビングに降りてくるのだろう。オレはため息をついて、玄関の扉を閉めて会社に向かった。

 ミサエが家にひきこもるようになったのは10年くらい前だった。ミサエを溺愛していた祖母が亡くなったことが、その引き金だったんだろう。元々、ミサエには極端に変化を嫌がり、現状維持を好むようなところがあった。だけどさ、現状維持というのは現実には存在しないんだよ。オレらの世界は、残酷にも時間は流れ続ける。現状維持とはじり貧に他ならない。

 ミサエは老けていった。時間って残酷だよな。オレも老けるし、ミサエも老ける。お前らだって老ける。当たり前の話だよな?おまけにミサエの話し方は幼子のように舌足らずで、いつも喉に痰が絡んでいた。動作は緩慢で、昔観たゾンビ映画を思い出す。

 正直、近所の連中に今のミサオの姿は見せたくない。冷たい?みんなそう言うよな。だったら、オレの代わりにこいつの面倒を見てくれよ。無理だろ?所詮他人事なんだよ。安全地帯できれい事を言って、気持ちよくなっているお前らのほうが、オレからすれば醜悪だぜ。善人に擬態するぶんだけ余計にな。

 オレのほうが大変なんだよ。今月の残業は200時間を超えているんだ。命懸けで働いている。じゃあ、仕事を辞めろって?そうだよな。何でオレは辞めないんだろ。奴隷でもないのに。ポケモンカードを転売して暮らすのもありかな。ミサエよりもオレのほうが現状維持を好んでいるのかもしれない。似た者親子だ。笑えるぜ。

 会社の同僚にヒロシっていうやつがいてさ、何がきっかけか忘れちまったけど、ミサエのことを話したことがあった。ヒロシが不思議な顔をして、なぜ精神科に連れて行かないんすかと言うんだ。精神科っていうと普通さ、鉄格子がある部屋と塀の高い建物が思い浮かぶだろ。やばそうじゃねーか。

 ヒロシはオレの想像力の乏しさに腹を抱えて笑っていた。いつの時代からタイムスリップしてきたんすか。明治?大正?ワンチャン江戸っすか?ぷーくすくすって笑うんだ。頭に来たんでぶん殴ったら大人しくなった。

 態度を改めたヒロシによると、今の精神科はもっとカジュアルになっていて、ヒロシ自身よく薬をもらいに行くらしい。薬でトリップするのが目標なんすよ、ゴートゥートリップっすよと力説するのでもう一発殴っておいた。こいつ、マジ病院に行ったほうがいい。

 ヒロシのアドバイスに従って、ひきこもりについていろいろ調べてみた。だけど、その定義がよく分からない。ひきこもりなのにコンビニに行ったり、趣味の用事の場合は外出するってどういうことだよ?語義矛盾じゃないか。清純派AV女優みたいなものか。確かにオレもそういうのは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。もののあはれを感じる。だけど、教養のない素人には分かりづらいし、誤解を与えると思う。

 さらに驚いたのは、ひきこもり本人がテレビに出て主張していることだった。ネットのオモチャにされることを覚悟で自らを露出するのは、大したもんだ。ただ、彼らの言っていることには納得がいかない。

「ひきこもる必要がある」とか「ひきこもる権利がある」と言っていたが、それは未成年が言うのならまだわかる。まだガキだからな。あと、たとえ成人でも病気になることがあるから、期間限定なら理解できる。ただし、期間を設定せず実質的に無期限ひきこもるというのはどうかと思うぜ。親からすれば解約できないサブスクと同じだ。

 当事者の意思を尊重しろと言いながら、親の意思はどうでもいいのか。アンフェアじゃねえか。親は子どもにどうしても家にひきこもって欲しいと懇願でもしているのか?そんな親は少数だろう。子どもが成人になっても家にいることで、食費や光熱費などを親が負担するんだぜ。しかも一緒に住むというストレスもある。親も子どもも別人格だろ。

 たまに子どもに金の無心をする親っているだろ。そういう親ってどうしようもないクズって思うじゃないか。しかし、逆パターンだとそういう風に見られないのが最近の流行りなのか。

 いずれにせよ、世帯分離をしてから生活保護を受けて、国に「ひきこもる権利がある」というほうが納得はできる。受け入れられるかは別にしてさ。そうすれば、国や地方自治体はひきこもりの数を正確に把握できるし、悪質な引き出し屋と呼ばれる商売自体がなくなると思う。

 ワイドショーのコメンテーターみたいに、頭の中であれこれ言ってみたが、じゃあオレ自身はどうするんだ?いい加減、現実を見なきゃいけない。

「会社を辞めるか」とつぶやいて、オレはノートパソコンを閉じた。

 ミサエの部屋の前にオレは座り、会社を辞めることを伝えた。ミサエは生活はどうするの!とドア越しで発狂したような声で叫んでいたが、オレは無視した。オレらの親子関係はずっとイカれていたんだ。

 ミサエはオレの母親だ。オレが小学生のとき、あるアニメの主人公の子どもが母親のことを呼び捨てにしたのが、当時のガキたちのあいだでウケていた。その影響を受けて、母親のことを今日までミサエと呼んでいた。そのせいで元カノに浮気を疑われたこともあった。

 8050問題は、ひきこもっているのは子どもで、経済的に支えているのが親という構図だ。オレら親子はこれとは真逆だ。オレがミサエの生活費を全て負担している。

 ミサエはオレが子どものときから母親であって、母親じゃなかった。父親の顔は知らない。オレが赤ん坊のときに家から出て行ったらしい。だから、幼いオレの面倒を見てくれたのは、祖母だった。祖母は情緒不安定なミサエの面倒も見ていた。子どもを二人育てていたようなものだった。

 オレが高校を卒業して就職するころに祖母が死んだ。これが小中のガキのときだったら、ミサエの面倒を見ることで忙しく、まともに学校に通えなかったと思う。そして、地元のヤンキーたちみたいに反グレになっていただろう。

 働き出してようやくこの家から逃げられると思ったが、ミサエはそう簡単にオレを一人にさせてくれなかった。自分を捨てるのかとオレを責め続けた。

 一人暮らしは金がかかるからと自分に言い訳をして、オレもこの家から出られなくなっていた。働いているわけだから厳密にはミサエとは違う。しかし、職場にいても心は家に囚われていた。

 結婚を約束していた恋人とはミサエが原因で別れた。仕事から疲れ果てて帰宅しても、ミサエの機嫌を取らなきゃいけない。ミサエが欲しいと思ったモノを買い忘れると大変だ。不機嫌になって、翌日家中にゴミが散乱していることも珍しくない。

 ミサエはネットを使えないのでアマゾンで欲しい物も買えない。ネットの使い方を学ぼうとすらしない。他責思考の塊で、能力の全てを依頼心に全振りした赤ちゃん人間だ。人の良心につけ込み、宿主が死ぬまで寄生するのだろう。ミサエが死んでくれたらどんなに楽なのにと何度思ったことか。あいつのせいでオレの人生はめちゃくちゃだった。

「親には親の人生を送ってほしい」と40代のひきこもりがテレビで言っていた。だけど、そいつは生活費を親に全て依存し、同じ家に長時間いることで親に大きな影響を与えている。それで親の人生を送れというのは無理だろう。オレが会社にいても、常にミサエのいる家に囚われているように。

「これで全部っす」ヒロシが大きなダンボールを運んできた。
 オレはミサエのいる家から狭いボロアパートに引っ越した。それまで会社を辞めなかった。大家が無職に部屋を貸したがらないのは当然だからな。
こんな狭くて汚いアパートでも、オレにとっては一流ホテルに泊まっているように感じられた。

 弁護士に相談して、今までのサービス残業の分を会社に請求するように頼んだ。上司のパワハラ発言ももちろん録音した。それ以外の証拠を示すために、ヒロシが協力してくれた。あいつも近々会社を辞めるらしく、弁護士には自分も依頼するので料金を安くするように交渉していた。ちゃっかりしているぜ。

 弁護士には、退職理由を会社都合にできるかもしれないと言われた。自己都合で辞めるより失業手当の支給額が違ってくるらしい。

 オレは、少し前からヒロシの紹介するメンタルクリニックに受診していた。傷病手当金を得るためだ。月給の約3分の2が支給されるから大きい。労災認定も狙っているが、これは調査に時間がかかるので、それまでは傷病手当金でもらうつもりだ。貯蓄もそれなりにある。仕事とミサエに忙殺されて、金を使う暇がなかったからな。

 さて、ミサエのことだが、あいつがどうなっているかオレにもわからない。

 ただ、オレが家を出るときに、数万円の現金とレトルト食品を大量に置いていった。それから、市役所、社協、NPO団体などの相談機関の電話番号とメールアドレスの一覧を載せたメモを残していった。当面の間、ミサエのケータイ代や家の光熱費はオレが払うことにした。

 将来、オレが結婚して、ガキができたとしよう。オレが今のミサエのようになったとしたら、自分の子どもに捨てられるかもしれない。因果は巡るものだからな。だが、受け入れるつもりだ。

 オレのボロアパートの呼び鈴が鳴った。酒が足りないと言って、コンビニに行ったヒロシが帰ってきたのだろう。今夜は、あいつと引っ越し祝いをするのだ。

 なかなかヒロシが入ってこない。カギを閉めちまったかな。ドアを開けた瞬間、腹のあたりが焼けるように熱くなった。腹から赤い液体が流れている。何が起きたのかわからない。足に力が入らなくて玄関で崩れ落ちた。視界が霞む。耳元で女が囁く声が聞こえたような気がした。




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