引きこもり文学大賞 本編部門35
作者:天野 美樹
「本当に私から産まれたの」
Ⅿは醜くて、私と全然似ていない。そして、一日中大声で泣き叫んでいる。認めたくない、自分の子だなんて。
私は、真面目に生きてきた。私の母親は、子どものようにわがままで、優しさに欠けた人だった。料理が下手で、お弁当に焼き芋がごろんと入れられていた日もある。それが恥ずかしくて、自分で作るようになった。歌をうたったら、「なんて下手くそなの」と大笑いされた。それ以来、自分は音痴だと思ってきた。そんな母親だったが、裁縫は得意だった。子どもたちの服を手作りして着せた。子どもの頃の写真を見ると、かわいい服を着てにっこり微笑む自分の姿が写っている。二つ下の妹は勉強ができて美人だったから、いつも私は比べられた。私にできることは、こつこつ真面目に取り組むこと。学校で上位の成績をとり、良い大学に進学すること。そうやって頑張った結果、私は大学院を卒業し、心理職に就くことができた。
愛着についても学んできたが、こんなに自分の子どものことが分からないなんて。この目の前の生き物はなんなのだ。なぜこんなに泣き叫んでいるの。周囲が気にしているけれど、私はただ疲れ切ってⅯを見ていることしかできない。この子と二人きりの時間は過ごしたくない。きっと気が狂うだろう。一日も早く仕事に戻ろう。私には、人の心理支援をする使命がある。人から必要とされている。
夫はマイペースで、他人には無関心な人だ。子どもとはよく遊んでくれるが、家事を手伝うことはない。一番嫌なのは、毎晩求めてくること。私は疲れてへとへとで嫌なのに。
「嫌だってば!」
そう言って拒んでもダメ。セックスを子どもに見せないため、幼いⅯを隣の部屋で一人で寝かせ、毎晩セックスさせられた。
二ヵ月で保育園に預けられ、夜も一人寝をさせられたⅯは、愛情不足からかずっと指しゃぶりをしている。小学校に入学してからも続いていたため、さすがに心配になった。夫が天井に赤い丸い紙を貼り、「あの赤丸を見たら、指しゃぶりを止めるんだよ」と言い聞かせていたが、小学一年生の半ばまで止められなかった。
それから気持ちが悪いことに、Ⅿは四歳ごろからオナニーをし始めた。部屋の隅でしゃがんで股間をこすりつけている。私はそれを抹消した。仕事や趣味に集中し、Ⅿを見ないようにした。
Mが幼稚園で毎日いじめられているようだ。土のついた石を口に入れられたり、お気に入りのヘア飾りを取られたりして、毎日泣きながら帰ってくる。ある日、いじめている子どもの親が、「Ⅿちゃんが、うちの子の幼稚園バッグに土を入れた」とクレームを言ってきた。Ⅿが仕返しをするなんて驚きだ。いつもいじめられているしかなかった惨めなあの子が。あの時は、少し誇らしい気持ちになった。
下の子が幼稚園に入園した頃から、Ⅿの弟いじめが始まった。毎日、弟を追いかけ回しては泣かせている。ああ、うるさすぎる!叱っても止まないし、疲れるだけだから、私は自分のことに集中した。
それにしても、なぜⅯはこんなに無気力で無関心な子なの。一日中寝そべり、人形遊びをしている。勉強も全然やらない。毎月届く進研ゼミにも手を付けていない。お金がもったいない!授業参観では、窓の外をずっと見ているし、何度もあくびをしている。先生から指名されても全然答えられない。なんて恥ずかしいんだろう。本当に私の子なの。
小学一年生のある日、担任の先生から連絡がきた。
「お子さんの頭がふけで真っ白です。授業中ずっと頭をかいています。周りの子も嫌がっていますので、きちんと洗うように言ってください」
髪を洗っていないなんて、信じられない。汚い!それから、歯も磨いていないようだ。虫歯だらけで歯医者に通わなければならない。私は仕事で忙しいのに、なんて手がかかる子だろう。
その後、三人目の子が産まれ、私は仕事を辞めた。さらに夫の転勤があり、田舎の社宅に入った。社宅の母親たちと、バドミントン、体操、手芸教室とお茶会に参加した。毎日忙しくて、子どもどころではなかった。だから、この頃の子どもたちの記憶はほとんど残っていない。
Ⅿは大学受験を控え、勉強しているようだ。ずっとお菓子を食べ続けているから、買いだめしておかないと。ぶくぶく太っているが、どうでもいい。Ⅿが、超難関校に合格した!さすが私の子だ。あとは一人暮らしをさせて、自立してもらうだけ。学費や生活費は、奨学金を二つ借りたから大丈夫。就職してⅯが自分で返すだろう。ようやく肩の荷が下りる。
ここまでは、私が母親の育児を想像して書いたものだ。いつからだろう。物心ついた頃から、自分の中に空洞があった。自分も周囲の人間も、どうでもよかった。自分なんてどうせダメだからと諦めて、全く努力してこなかった。自分がやらなくても、母親がやってくれたから楽だった。買う服や進路も、母親が決めてくれた。でもその結果、自分の好みや、自分が何をやりたいかが全く分からない人間になっていた。
大学進学と同時に一人暮らしを始めてから、寂しさと心細さで死にそうになった。今まで一人で暮らしたことなんてないし、家事もやったことがない。ガスの火はどうやってつけるのか、料理ってどうやってやるのか、全く分からない。だってやったことがないから。仕方がないから、近くのコンビニで食べ物を買った。心細くて泣きながら毎日母親に電話した。
大学生活はもういっぱいいっぱいで、勉強どころではなかった。周りのみんなが大人に見えた。そのうち、大学に行かず引きこもって過食をするようになった。過食をすると寂しさが満たされる気がした。けれど、ぶくぶくと太って誰からも相手にされなくなるのは嫌だった。ある時、吐いてみたらすっきりした。吐けば太らないという安心感から、過食嘔吐に拍車がかかった。毎日、大量な食料を買い込み、トイレで嘔吐した。そのうち、家の中でだけでなく、大学や飲食店のトイレでも過食し嘔吐するようになった。二つ奨学金をもらっているから、お金はなくならない。
それでも寂しさは埋まらない。誰かに愛されたいと、出会い系にはまった。私の体を求めてくれる人がいる、私は必要とされている、そう思いたかった。けれど、セックスしても全然寂しさは埋まらない。いっそのこと風俗店に勤めようか、そう考えていた時だった。こんな私と付き合ってくれる人が現れたのだ。そして私は、その人と結婚することができた。結婚によって、どん底まで落ちる人生から抜け出したのだ。
ようやく手に入れたと思った安住の地は、出産と同時に地獄に変わった。子育ての仕方が分からなかったから、育児本を片っ端から読みその通りにした。けれど、育児本通りになんか全然ならない。泣き止まず、寝ない子どもとの日々に、私は疲れ果て途方に暮れた。「助けて」と言える相手もいなかった。
夫は私から逃げているように、毎日深夜に帰ってきた。私は夫の浮気を疑い、毎晩問い詰めた。ある時は車中で口論になり、運転していた私は激昂して壁に車を激突させようとした。なぜ思いとどまったのかは覚えていない。子どもが後部座席で泣き叫んでいたことしか覚えていない。
お母さんへ。以前私が「もっと愛してほしかった。ずっと寂しかった。いじめられている時、かばってほしかった」と今までの思いをぶつけた時、「お母さんも、どう育てていいか分からなかったのよ」と泣きながら答えてくれたね。今ならあなたの気持ちが分かります。育児は辛かったでしょう。どう育てて良いかわからず、怖かったでしょう。だって、自分が愛されて育ってきていないから。苦しんで、もがいて、一人で必死に育ててきてくれたんだよね。ありがとう。
あれから、私もたくさんの経験をして、ようやく分かったことがあります。他人に「愛して」と求めるより、自分で自分を愛してあげないといけないということ。自分を大切にして優しくして、「だめじゃないよ」と言ってあげること。私はそれがようやくできるようになってきました。そして、自分の人生の主役になって生きることの楽しさを、今味わっています。
お母さんには伝えていないけれど、私は離婚して一人暮らしをしています。優しい夫を手放すのは、勇気が必要だったよ。お母さんに秘密にしていたのは、絶対に反対されるから。でも、世間一般の幸せとかどうでもよくなったの。私は私の幸せの道を歩んでいきたいと、ようやく思えるようになったんだ。
お母さんは、自分を大切にすることができていないように見えます。自分より他人を優先して、「私はだめだ」って自分を責めている。そうやって一生を終えていくのは悲しいけれど、それがお母さんの人生。
私は四十九歳で、念願の心理職に就きました。虐待された子どもの心理支援です。結局、お母さんと同じ道に進むことになったね。私はやっぱり、お母さんのことが大好きなんだなと感じます。これから、目の前の子どもたちにたくさん優しくしたい。心を込めて伝えていきたい。「自分を大切にする」ことと「あなたたちはダメじゃない。たくさんの可能性を持った大切な存在だ」ということを。私のこれまでの経験は無駄じゃない。私にはできる、きっと伝えていけると信じて進んでいきます。お母さん、私を産んで育ててくれて本当にありがとう。