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文学大賞 本編部門03 僕の家には箱がある 作者 冨士一文

引きこもり文学大賞 応募作品03

作者:富士一文

 僕の家には箱がある。
素材はプラスチックだろうか。青いつややかな表面には特になにか飾りがあるわけでもない。昔からある割には傷も汚れもほとんどないが特徴と言えばそれ位の、両手の上に乗せられるくらいの大きさの、一見すればどこにでもありそうな箱だ。
その箱がいつからあるかは知らない。
気づいたときには廊下の隅の棚の端っこに置かれていた。母に聞いたところによると元々は祖父の持ち物であったらしいが詳しいことは知らないそうだ。
まあ、それは大したことではないからこれ以上話す必要はないだろう。大事なのはこの箱が見た目通りの普通の箱ではないということなのだから。
ある日のことだ。嫌なことがあった僕はむしゃくしゃした気持ちを持ちなおそうと気晴らしのための本を探しに本棚を虱潰しにしていた。ようやくこれはという一冊を見つけて手に取ったところで、誰かに呼ばれたような気がして首をかしげた。「そういえば」と棚の端に置かれた箱を見やる。

「最近少しご無沙汰だったかもしれないな」

気分転換をしたいと思っているところだしちょうどいい。
そう考えた僕は箱に近づき蓋を静かに持ち上げた。
そのとたん隙間から真っ黒い霧のようなナニカがあふれ出して僕を包み込み――そして次の瞬間霧は消えて、僕はどことも知れない部屋に立っていた。
いや、ここを部屋と呼ぶのはなんだか違和感を覚える。床にはふかふかのじゅうたんが敷かれ頭上では明々と室内灯が光を放っているがそれだけだ。右を見ても左を見ても、見えるのははるか彼方までずらりと並べられた無数の棚や座り心地のよさそうな椅子、大型の液晶テレビといった家具の数々とその間を行き来する大勢の人たち。どれだけ目を凝らしても壁のようなものはどこにも見えない。これは果たして部屋と言えるのだろうか。
それに結構な数の人がいてそれなりに騒いでいる人もいるのに奇妙なことにうるさいと感じたことはない。これもおかしなことだ。
ここが一体どういう場所なのか僕は知らない。知っていることと言えば、あの青い箱を開くことでここに来れるということと、同じような箱がほかにもあってそれを使ってここを訪れる人もそれなりの数いるということ、そしてこの世界を管理する人間がいることぐらいだ。

(改めて考えてみるとつくづくここはおかしいな。現実の場所とはとても思えない)

そもそも小箱の蓋を開けると入り込むことのできる空間とはなんなのか。いっそ夢の中とでも言われた方が納得できそうな話だ。
しかし僕を含めてここに出入りしている者の中にそんなことを気にしている者は一人もいない。僕や彼らにとって大事なのはこの空間がとても居心地がいいものであるという、それだけだ。

「おや、キミか。久しぶりだね」

掛けられた声に振り向くと、いつからそこにいたのか床に座り込んでゲームをしている貧相な小男の姿がみえた。せわしなく指先を動かしながら、内面の伺えない無表情な顔だけをこちらに向けていた。顔の作り自体は悪くないのにもったいないとそんなことを思いながら軽く頭を下げる。

「どうも、管理人さん。相変わらず顔色悪いな、少しは外に出てみたらどうだい」

「出れないわけじゃないんだろ?」と問いかけてみれば彼は「余計なお世話だ」と分かりやすく顔をしかめた。お互い本気ではない、何度もしたやり取りでありちょっとした挨拶だ。
第一本気で彼が気を悪くしたのなら躊躇なく僕はここへの来訪を禁止されているだろう。この不思議な空間を支配し管理しているのは目の前にいる彼なのだから。
ちなみに管理人というのは僕が勝手につけた呼び名だ。彼の本名を僕は知らない。何度か訊ねたことはあるがはぐらかされたり無視されたりしてまともに答えてもらったことがないからだ。もっともそれはこの不思議な空間に訪れるほかの人たちも同じらしく、みんなそれぞれ勝手な呼び方をしている。彼も基本的には拒否しないところを見ると、そもそも名前がないのかもしれない。

「そういえばキミが前に読んでいた漫画、最新刊が手に入ったよ。よければ読んでいくといい」

そう言ったところで、彼はふと視線を下に落とした。

「ところでその本は何だい。お土産かい?」
「いや、違う。これはたまたま持っていただけだ」
「そうかい。まあ、持ってこられても……という気はするね」
「だろうなあ」

漫画、小説、実用書、哲学書、映画のディスク、音楽のディスク、ゲームのディスク……その他さまざまなものがぎっしりと詰め込められた本棚が見渡す限り整列している光景を見ながら僕は馬鹿なことを言ったと頭を掻いた。
何をどうやっているのかは知らないが、この小男は様々なものを集めてこのおかしな部屋に置いている。書物に映画、音楽のCDにゲーム機、バトミントンのラケットにウォーキングマシン……そういった多種多様な趣味の道具、遊びの道具がこの部屋には山のようにあふれているのだ。
しかも、相手が必要な遊びがしたければほかの来訪者をつかまえればそれで済むし、逆に一人で趣味の世界に没頭したいなら棚の間の人目に付きにくいところにでも陣取ればだれにも見つからずに済むと、環境もいい。
のんびりと時間を潰すのにここほどいい場所はまずないだろう。
いつ箱の中に“入れる”のか、こちらが決めることができないという変な特徴がなければ、だが。

(いや、不定休の店や施設は現実にもあるし、そう考えればそれほど変じゃないかな)

とりあえず、今日の所はせっかく来たのだしお薦めされた本でも読むか。
さて、あれは一体どの辺りの棚に収められていたか。以前来た時の記憶を探りながら僕は書架の森の中に足を踏み入れた。

@@

本の世界に没入するとなぜこうも時間がたつのが早いのか。
続きものの物語も主人公が故郷に帰る場面でひと段落となり、ふうと小さく息をつきながら顔を上げると、ここに陣取った時にはなかった積みあがった本の山が目に飛び込んできた。
管理人に勧められた漫画を読んだ後、近場にあった本を手当たり次第に読みふけっていたのだがどうやらずいぶん熱中してしまっていたらしい。座ったまま手の届く範囲の棚は軒並み空っぽになっている。
しかしまだまだ読み足りない。少し離れた場所から持ってくるか、それともいっそのこと場所を移動するか。
そんなことを考えながら席を立とうとして、僕は明日大事な用事があったことを思いだした。そのための準備を今日中に済ませなければならず気分転換をしようとしたのも、その後に集中して作業をするためでもあったのだ。

「残念だけど仕方ないか」

一応気分転換はできたのだ。いつになるかは分からないが続きは次に来た時のお楽しみとしておけばいい。

「おや、もう帰るのかい」

積み上げていた本を手早く棚に戻して入り口に戻る途中、聞き慣れた声に振り向くと山積みの本を抱えた管理人と目が合った。帰ってしなければならないことがあると答えると「ふーん」とどうでもよさそうな顔をする。

「いつも思うんだけどキミたちは大変だねえ。あれをしなければならない、これをしなければならないって、のんびり遊ぶことすら満足に出来ないんだ。僕ならとても耐えられないや」
「世の中はそういうものなんだよ。お前のような引きこもりには分からないだろうけどな」
「分かりたいとも思わないけどね。ま、またそのうち遊びに来なよ。求める者がいる限りいつまででも存在する。ここはそういう場所のはずだからさ」

そういった管理人の顔はあいかわらずの仏頂面。それがなぜだかおかしくて、でもなんだか胸が痛いようで。これはなんなのかと考える間もなく僕の体は真っ黒の霧のようなものに包まれて、気づくと僕は狭くて埃臭い廊下の棚の前に立っていた。

「戻ってきたか」

手にしたままだった、必要のなくなった本を棚に戻すと、棚に鎮座したままの青い箱を見やる。こうしてみると本当に何の変哲もないただの箱にしか見えない。これが非現実的な世界への入り口になっているなんて誰も思わないし話しても信じはしないだろう。ふと思いついて蓋を開けてみるが、広い空間も無数の棚も無表情な管理人も出てくることはなく、ただ何も入っていない空っぽの内側が見えただけだった。
窓から外を見ると入る前には青一色だった空はすっかり赤く染まっていた。窓を開けると、心地いい風と行き来する車のエンジン音がセットで部屋の中になだれ込んできて、つくづく静寂に満ちた空間とはまるで違うなと、僕は苦笑する。
あそこではこんなきれいな夕焼けは見れないし気持ちのいい風を感じることもできないしうるさいほどの喧騒に顔をしかめたりもできない。あの場所はとても心地いい場所ではあるが、時々無性に行きたくなるけど、でもきっとずっといることはできない場所なのだ。

でも。
あの締め切られた空間に閉じこもり好きなものにだけ埋もれて無為に時間をつぶし続ける小男の姿が脳裏に思い浮かぶ。
そうだ、でも。でもほんの少しだけ。
今までも、そしてこれからも。この世界から隔絶されたあの空間で、たくさんの本やゲームや無数の娯楽に埋もれて過ごすのであろうあの引きこもり人間のことがうらやましいとも思うのだ。




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