文学大賞 短編部門02
作者:非常口ドット
エンジンの音がすると僕は息を潜める。
車のドアが開くと僕は息を呑む。
インターホンが鳴ると僕は息が出来なくなる。
ガタガタ震えながら来訪者が去るのを待つ。
彼らの気配がなくなった頃にそっと覗き穴から外の様子を伺う。
宗教の勧誘、怪しいセールスマン、近所のいじわるばあさん。
始まりはいつだったか思い出せない。
外から来るのは煩わしさばかりで、時間が経つと煩わしさは怖さになった。
怖さは徐々に強くなって、終いにインターホンに出られなくなった。
自宅警備員という言葉があるが、僕は自宅を警備することさえままならない。
「今日はお饅頭買ってきたからね、一緒に食べよ。」
パートから帰ってきた母が言う。
母は何も出来ない自分に優しくしてくれるこの世で唯一の人だ。
「……。」
仕事から帰ってきた父は今日も無言だ。
同じ屋根の下で暮らしているのにもう何年も話していない。
まるでこの家には夫婦しかいないみたいに僕の存在を無視してくる。
昔は「早く就職して一人前になれ!」とか「いい加減やる気を出せ!」とか口煩く言われたので、むしろ気楽だ。
気楽だった筈なのだが、最近は何故か父の目が気になって仕方ない。
◆
数ヶ月が経った頃、父は恐怖の対象になっていた。
外で足音がすると僕は息を潜める。
門扉が開くと僕は息を呑む。
野太い「ただいま」が聞こえると僕は息が出来なくなる。
恐怖の対象が家の外だけじゃなくて中にも出来てしまった。
もうどうやって生きたら良いのか分からない。
◆
今では僕の世界は、安心できる世界はこの部屋の中だけだ。
鍵を取り付けたこの部屋を侵せる者は誰もいない。
コンコン。
「晩御飯置いとくね。」
優しい母だけが扉を叩く。
父は無視を決め込んだままだ。
◆
コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン。
あぁノックの音が煩わしい。