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文学大賞 本編部門07 「リリーに口づけ」 作者 久保田毒虫

文学大賞 本編部門07

作者:久保田毒虫

 リリーが亡くなったと母から聞いた。

死因を聞いて衝撃だった。そのようなことをする人にはとても見えなかったから……。
 リリーと僕はかつて恋仲だった。しかし一方的にフラれて、さらに別れても友達でいてくれなんて平気で言うから縁を切った。男女に友情なんてないと思っていたから。
 それから僕は街を出た。一流大学を卒業し、一流企業に就職した。仕事の為にプライベートを犠牲にした。友達も徐々にいなくなった。その代わり誰よりも早く昇進した。それが幸せだと思っていた。
 しかしある日突然、ピンと張り詰めていた糸が切れた。身体が動かない。やる気も起きない。心が苦しい。
 うつ病と診断された。それからずっと休職していたが、やがて退職せざるを得なくなった。
 ショックだった。プライドがそれを許さなかった。
 僕は外出しなくなり、一日中家に閉じこもった。引きこもりになった。生活費は失業保険で食い繋いでいた。
 しかしやがてそれも限界が来て、仕方なく僕は実家の母へ連絡し、事の詳細を伝えた。
 母はただ「帰っておいで」とだけ言った。
 そして電話を切る直前に「そういえば、リリーちゃんがね……」と。

 僕はボロボロの身体と心で街へ帰った。
 久しぶりに見た街は、僕が街を出た頃から何一つ変わっていなかった。リリーがいないことを除いて。
 そうだ。あのお月様が見える山へ行こう。あそこでよくお月様とお話ししたっけな。
 月夜の晩、僕はその山へ登った。
「お月様。久しぶり」
「おおー君かい。久しぶりだね。元気かい?」
「これで元気に見えるかい? もうボロボロだよ。何もかも失った」
「おおそうかい」
「ねえ、幸せってなんだと思う? なんだか生きてるのが辛いんだ」
「難しいね。でもね。幸せって、全てが揃うことはないんだ。全てを手に入れようとして、無いものねだりで苦しんでいないかい? それに君はきっとこう思ってるだろう。(もうやり直しなんてきかない)って。とんでもない。まだ始まってすらないんだよ君の人生は。なんだってなれるさ。いいかい。君は今日から生まれ変わるんだ。焦らず、ゆっくり進んでいけばいいんだよ。それに幸せは他人が決めることじゃない。自分で決めることさ。きっとそのうちわかるよ」

 僕はとりあえず生きてみることにした。
 リリーが何故あのような選択をしたのかはわからない。幸せが自分で決めることであるように、苦しみもまたきっと、本人にしかわからないのだろう。

 明日、僕はリリーの家の庭にヒヤシンスを植えようと思う。『控えめな幸せ』を願いながら。

 




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Opinions

  1. Post comment

    リリーの死因は書かれていないのに、なんとなく予想できるのが(予想が間違っているかもしれませんが)すごいです。
    主人公の回想だけでリリーの人柄が伝わってきます。
    そしてお月様との会話は、山に入って雑音を遮断し、自分自身と対話して気持ちを落ち着けているのかな、と勝手に想像してしまいました。
    「よくお月様と話した」=昔からの習慣=ずっと一緒にいる存在=自分なのかと思いまして……

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  2. Post comment

    人は見えないところで苦しさを抱えている。他人には見せず、孤高に抱えたまま生きていることもある。
    「僕」がそうであるように、リリーもまたぷつりと切れてしまったのでしょうか。
    友だちでいてとの言葉は、あるいは何かのサインだったのかもしれませんが、本人のいない世界でそれを問うたところで誰も幸せにはならないでしょう。
    むすびを「自分は自分、他人は他人」と受け止めていること、既に「僕」の人生が前を向き始めているのを感じます。
    焦らず、一歩一歩、あゆんでいく。そんな再生の予感を感じました。

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