文学大賞 短編部門04
作者:風ゆらり
例えばだけど、「トマト!」と言われたら「スイカ!」と返さなきゃいけない。ルールだから。それは、褒められたら速攻で謙遜することかもしれないし、会話の中でテンポを大事にする代わりに本音を言わないことかもしれない。
私はそれらの決まりをよくわかっている自信がなくて、いつも誰かの真似をしようとしていた。「トマト!」と言われたら即「スイカ!」。「リンゴジュース!」と言われたら「シナモンパン?」。まるで馬鹿げた暗記問題。でもそれを暗記していないと、なんだか白い目で見られるようで。
でも、暗記した言葉はすべて、私の言葉ではなかった。身体から遠く離れたところで、言葉だけがぷかぷかと浮いていた。ある日、私は職場で倒れた。「大丈夫?」と上司が聞いた。まるで、「トマト?」と聞かれているみたい。誰も私を心配していない。私というちっぽけな、でも確かな労働力が失われていくことをいやがられている。責められる前に「スイカ!」と返さなければ。本当のことを言ってはいけない。絶対に本心を見せてはいけない。私は、気づいたら「大丈夫です」と笑いながら答えていた。言葉が私に完璧に背を向けたようだった。私は私が発する言葉さえも敵にしてしまった。
助けてもらえる機会は、思っていたよりも多かったのかもしれない。声を上げればよかったのかもしれない。でも、度重なる疲労とさまざまな圧力の中で、私は言葉をもたなかった。起き上がれなくなるその日まで、言葉を失った自覚さえなかった。でも、今なら分かる。ずたずたになってまで正しい言葉を話さなくてもいい。むしろ、正しい言葉なんて知ったことか。暗黙のルールがあったとしても、それが何だ。私は、あなたは、自分の言葉を話してかまわない。今も、どこかに本当は誰かが発するべきだった「正しくない」言葉たちがぷかぷかと浮いている。これからは、そちらの言葉に耳を澄ませられるような耳を、失わずにいたい。
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符号でしかない言葉。言葉をうばわれる感覚。
Permalink日頃の形式なやりとりは、相手を見ているようで見ていない。
どんなつもりで言っている? どんな想いを言いだせずにいる?
口元を通し、心に向けられる目が、ありありと浮かぶようでした。