僕は産まれてから堕ろされた
ペンネーム:喜久井ヤシン
母さん! 僕はあなたを幸せにさせてあげることができなかった。完璧だったあなたを汚したのは僕です。あなたが築き上げてきた人生を壊したのは僕です。わかっています。本当はスーツに身を包んだ息子と二人で街を歩きたかったでしょう。本当は成人した僕とお酒を飲みたかったでしょう。卒業や就労や結婚や初孫のいちいちの記念写真を撮って、額縁に入れてあなたの部屋の壁に飾っておきたかったでしょう。僕はそれらを一つも成し遂げることなく、それどころかまともに人と顔を合わせることがないまま20年を無駄にした。僕があなたからの愛情にも調教にも応えることができなかった駄犬だということはわかっている。あなたの思い通りの飼い犬になることができなかった。学歴と職歴のある良い一人息子として、あなたの握るリールの先を歩くことはできなかった。僕は日々僕自身の無力さに打ちひしがれている。あなたは偉大な腕力で理想の我が家を作り上げようとしていたのに、僕はその建立を打ち崩した。あなたの夢、あなたの希望、あなたの理想、あなたの未来を台無しにしたたった一人の犯人が僕です。あなたの夢を挫折させた張本人は、あなたの夢の支柱になるはずだった者そのものです。
僕にどれほどあなたが費やされてきたかは、僕自身が誰よりもよく知っている。あなたの生涯は尊敬されるべき頑強さで歩まれたものだった。日本企業の幹部の中で、女性の割合はたったの2.3%にすぎないという。あなたは長年勤めた通信会社で、その2.3%の中に入った。有能で勤勉な憧れられるべき上司でありえた、僕の誇りにもなっていたあなただったのに、その肖像を僕自身が破壊した。あなたは幼い頃から優秀だったのでしょう?小さな僕を連れて高松の実家に帰ったときにも、知的好奇心旺盛な子だったと言って笑った母にとっての母、僕にとっての祖母が話すいくつかのエピソードを覚えている。妹の世話をよくし、活動的で、友人も多くて、学校での成績も良く、イギリスへの短期留学もした。大学卒業後は24歳で上京し、本家の家を離れて一人暮らしを始めたあなた。初めての東京生活には打ちひしがれたと言っていた。横暴な男性社員からは怒鳴られ、同僚の女性たちからは度々嫌がらせを受けたと。一度も就労したことのない僕には、おそらく想像する資格もないことだ。それでもあなたは多忙な中で英会話スクールに行き、後に夫となる人と知り合った。26歳で出会ってから33歳で結婚し、結婚後3年であなたは妊娠する。仕事にも夫にも家庭にも充足し、いよいよ子どもができるという人生の幸福な流れがあった。だがその子は僕ではなかった。その子はあなたの胎内にいながらも、あなたの子どもにならなかった。僕の産まれてこなかった兄は、流産によってどれほど大きな痛手をあなたに与えたことだろう?それはきっとあなたの人生で二番目の悲劇のはずだ。一番は僕が産まれてきてしまったことだろうから。
あなたは40歳にして、第二子となるはずだった僕のような者を産み落とした。あなたは人からたずねられたときに、僕が次男なのか長男なのかを示さないうっすらとした居心地の悪さを間違いなく感じていて、本当はこの子ではなかった、こんな子になるはずではなかったという靄がかった憂愁を持っていた。こんな子でなければよかったと僕も思う。流産になるべきは僕だった。あなたも口には出さないけれど、愛息がこんな中年の怪物になると知っていたら、僕こそが流れていたらよかったと思っているでしょう?もしも兄さんが産まれていれば、ハンサムな微笑を見せて母の日のプレゼントを毎年買い贈るくらいしていたはずだ。しかもきっと優良企業の正社員として、自分の給与から気前よく出すクレジットカードの一括払いで。完璧なあなたに見合う一人息子だけがこの世に生まれ、僕は子宮からはじかれて眠りを眠りのままにしておくべきだった。
だけど信じてほしい。僕は決してあなたからの親愛をおろそかにしていたわけではなかった。全身全霊をかけてあなたの望み通りの子どもになろうとしていた。あなたの暖かな手の平によるものなら、僕は今でもやわらかな粘土になって、どんなものにでも形を変えてあげたい。あなたが13歳の僕にしていたように、僕の意志も判断力も奪って脳みその中を内側から変えられてあげてしまいたい。子どもらしさを装い、利発になって、塾にも通い、友達を捨てて、中学受験に合格し、言いなりになって、僕の未来はあなたによって舗装された線路を、まっすぐに進んでいった先にあるはずだった。それなのに、未来を壊したのは僕だったでしょう?僕たちによる僕の未来を崩壊させたのは僕自身だったでしょう?
僕はあなたの期待通りに走ろうとした。一点の疑いもなくあなたに尽くそうとしていた。満身で疾走し、同級生との不和やテストの結果や教師とのいさかいなんて蹴散らせるつもりだった。だけどあなた自身がつまづきの石となって、僕は転んだ。僕は歩くこともできなくなった。あの場所に通えなくなって以来、あなたは僕をどれほど叱責し痛打してきたことだろう。それまでの豊かな優しさは消え去って、以来僕はあなたの家に寄生する害虫とみなされている。僕はあなたにとっての裏切り者になったが、しかしあなたもまた僕を裏切っている。望み通りの子でなかったために、溺愛も寛容も愛玩も母性も短期間のうちにすべてが覆された。あれは僕にとって悲しみ以上のものだった。悲しむことができる感情そのものを根こそぎにさせるものだった。
僕は14歳のままで止まっている。暦だけを見れば20年が過ぎた。巨大な墓石のような中学校の建物を、僕はいまだに正視できない。年月が20年?莫大にあったはずの時間はどこにいったのか。鏡を見れば頬が痩せこけ、髪の細い、目元にくぼみのある中年男がいる。この顔はもう15歳の少年でもなければ、20歳の若者でもない。過ぎ去った歳月は本当らしく、僕以外の者も老いを重ねている。ある真夜中に自宅のトイレから出たとき、ドアの外に見慣れない老人が立っており背筋が震えた。だがそれは数年ぶりに顔を見た父なのだった。父はとっくに定年の年を過ぎているにもかかわらず、ほとんど毎日外壁塗装関係の会社で在庫管理の仕事をしている。老いた体で金を稼ぐ必要性のどこまでが僕のせいであるかはわからない。あの父という沈黙の塊からは、僕はまともに言葉を伝えられたことがない。
それにしても、金。僕の行く先を作り出すものもふさいできたものも、すべては金だったように思われる。進学も就労も現状も、金、金、金で決まってしまう。僕程度の生き物なんて、本当は複雑なことなんかない。ただ金、金、金、金。果てしなく金、金、金、金というだけのことだ。当然働かない者が批判されることはわかっている。憲法第二十七条『国民は勤労の義務を負う』。第三十条『国民は納税の義務を負う』。働き、生産し、金を得て、税を国家に納めねばならない。それができない者は否定されて当然だが、しかしその否定は生ぬるいと思えてしかたない。僕は僕自身を憎んできた。僕が僕自身に寄せる罵詈雑言に比べたら、この社会からの悪評なんて甘すぎる。無職の僕のようなものは、僕自身からしてみたら現代社会のがんだ。勤勉な労働者の預金通帳に巣くうサナダムシ。働く人々を月曜日の午後三時にあざ笑う反社会的行為と、年老いた両親にハンバーグを作らせる不道徳行為をくり返す犯罪者だ。おかげでうちの両親は二人とも痩せている。いっそダイエット製品にどうだ?親不孝息子ダイエットとして売り出せないか?僕という商品は一番人気になるだろう。僕がどれだけ甘えで、自己責任で、怠けで、意志薄弱で、はき違えた自己愛に満ちたごく潰しかがわかれば、親不孝の最良の好例だとわかるだろう。僕は畜生で、餓鬼で、無能者で、ウジ虫で、クズで、無知蒙昧な、弱虫の、臆病者の、脳幹に問題を抱えた、母親の言うことを聞かない「悪い子」だ。あなたが沈黙からなる失望で伝えてきたように、僕はあなたの子どもであることに値しなかった。
今日もひきこもった僕の家の上空を自衛隊機が飛んでいく。僕は空自のヘルメットをかぶった人たちと違い、お国のために何もしていない。所得税を1円も払うことがないまま、自衛隊の採用上限年齢を越えてしまった。僕は国民の義務を放棄した、国辱の、反日の、国の恥となる、非国民だ。この国の財政悪化の原因はただ一人僕だけであり、百億円の福祉予算が破綻するのは僕のせいだろう?一日に最低25時間は働いて、金を稼がねば許されない。金、金、金、金。果てしなく金、金、金、金。どこまでもだ。金、金、金、金。どうか僕が死んでも葬式を開かないでほしい。葬式代も埋葬代も骨壺代もかけなくていい。僕の小遣いを断ち切って就労に追い込もうとしてきたあなたなら、わざわざ遺言を残さなくてもそうしてくれることだろう。金、金、金、金。果てしなく金、金、金、金。
兄は何十年も前に流れ去ったというのに、僕はこれまで胎盤のような場所で、羊水じみた空気の中で歳月を負ってきた。だけど僕は自分が穏やかなところにいると思えたことは、この人生で一度もなかったと断言できる。実際のところは 母さん 僕は産まれてから堕ろされたかのようだった。僕がこれから亡くなったとしても、生涯を回想させる走馬燈に僕の幸せは見つからない。そしてそんなことよりも、 母さん 何よりもあなたの幸せを見つけることができない。僕からの最後に遺す言葉はもうここまでいい。さようなら。さようなら 母さん 。僕にとってあなたほど憎んだ人はいなかった、あなたほど愛した人がいなかったように。
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恐ろしいほどの圧で押し殺された感情が、溢れでるかのような迫力があります。
Permalink共感するところもありながら、共感したくないような感情も沸き起こりました。
凄まじい文章でした。
親と子が、無条件でお互いを受け入れることの困難を間接的に語っている。この剥き出しの感情を、読み手が受け入れることができるかどうか、挑戦的な文章とも読めました。
Permalink圧倒的な衝撃力・破壊力で読むものに迫ります。「絶望の文学」の真骨頂と言えるでしょう。絶望の果てに何を見るのか。著者の展開を期待したいです。
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