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応募作品21

プロとコントラ

ペンネーム:火星ソーダ

舞台は、書物のうずたかく積もった書斎。
登場人物は、在日朝鮮人の「先生」とひきこもりの青年。

先生「君はひきこもりなのか?」
青年「…僕は自分がなんなのかよくわかりません。僕はこの日本社会の中で疎外感を感じて生きてきました。それで在日朝鮮人という日本社会における本物の異物だったならば、僕の気持ちを理解し、進むべき道筋を導いてくれるのではないかと思い高名な先生の名前をインターネットで知って今日こうしてお訪ねしたのです。」
先生「私には君を救う義務も権利も能力もない。」
青年「同じく社会から遺棄された立場じゃないですか。」
先生「違うね、君に私たちの何がわかるというのだ。…しかし私も君を待っていた。長い話をしようか、君にも大いに関係のある話だ。」
先生「君たち日本人からすれば排除された人々はみな十把一絡げに見えるんだろうな。しかし排除されたものたちには、みなそれぞれの事情がある。知っているか?この学歴社会で中卒を一番馬鹿にするのは高卒の人間だ。排除された人々の中でも微小な差異を見出し相争うのだ。この社会には、いや、どの社会でもなのだろうが様々な暴力がある。民族・学歴・金・権力・腕力・性・無関心…しかし暴力によって傷ついた人々が、実はしばしばその暴力の信奉者となる。暴力によって深く傷つけられたはずなのに、往々にしてまさにその暴力の被害者こそが、自らに傷跡を残した暴力を介してしか、人と人とはつながれないと堅く信じ込んでいる。」
青年「たとえそうだとしても連帯していくことができるはずですし、むしろ違いを乗り越えて連帯するべきなんじゃないのですか?僕らは僕らの多様性に可能性を信じるべきではないのですか?」
先生「お前らのそうした発想そのものが自らを支配する側だと思い込んでいる証左なのだ。戦わない、既存の秩序に乗っかって生きていこうとする、どこかしらお前らはいつでも逃げ帰るところがあると信じている。だから「ひきこもり」はもろくて対抗概念になりえないのだ。それがお前らの弱さなのだ。」
青年「僕はそんなレベルを乗り超えた、人が生きるために相争う、それを超えたところにあるものを僕は求めているのです。永遠で絶対的で変わることのないものを僕は求めている。」
先生「ならその望みは裏切られるだけだろうね。人々が一碗のめしのために戦い、殺しあう。それこそがこの世の真理であってそれは永遠に変わらないだろう。今、日本人が実に従順でルールを守ろうとするのも誰かが助けてくれると信じているからだ。その信が破れるときに、結局は、どの時代のどの国のどの民も同じだったのだと知るだろう。彼らも一碗の飯のために殺しあうだろう。人は生きるために食い、食うために生きる。この循環論法をデカルトもカントもボナパルトも変えられはしなかったのだ。どの時代のどの国のどの民も結局は同じなのだ。」
青年「先生はとても現実を見ているとは思えない。人間は進歩する存在でしょう、そんな石器時代みたいな世界に逆戻りするなんてありえない!科学技術の進歩と生産力の爆発的な発展をみてください!」
先生「社会の統合は余剰生産物の大きさによって達成されるわけではない。この日本という国で生きていて「朝鮮」であり続けることはどうしても、「劣った民族」の出身という無言のレッテルをはられてしまう。そんな社会で同化しようという努力はどうしても個人の人格にとって危険なものとならざるをえない。自らを素直に肯定できないのだ。しかしだからと言って同化も適応もせずにどうやって飯を食っていけるというのか。だからこそ、対抗的なアイデンティティとして私は自らを朝鮮であると自覚し、朝鮮であり続ける意思をもち続けた。それが嘘だったとしてもな。君は本当に私が日本人よりも韓国人に似ていると思っているのか?そうしない限り、この社会の中で負のレッテルを貼りつけられたまま、自分自身を見失ってしまうだろうという恐怖を心底から感じたからだ。そして自分自身を見失ってしまうと人は消えてしまうんだよ。本当に,、消えてしまうんだ。」
青年「先生は悲観的に過ぎます。時が来れば、共に同じ生活をしていればお互いの差異は溶けて消えていくのじゃないのですか?」
先生「これは単に私の個人的な経験でもなければ、また、たまたま私が偶然的に踏み込んだ思想の隘路でもない。今日のグローバルな世界の中で普遍的な問題意識なのだ。帝国の暴力によって新しい全地球的な一つの世界が誕生した。その結果、難民のように一から全てをやり直す経験を誰もが何度も何度も繰り返させられることになった…唾を吐きかけられ、冷たい蔑みの目つきに苛まされながら、なんとか自分の居場所をつくったかと思うと、再度なにもかも失ってしまう…今は、自らにとって未知なる社会に同化と適応をして、かつ如何にその社会の加えてくる暴力から自らを守るかという問題意識は普遍的なのだ。例えば君にはまったくかけ離れた問題におもえる実例を挙げようじゃないか。」
先生「ここにノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女にイスラム原理主義組織の幹部が送った手紙がある。アッラーへの帰依やイスラム文化特有のレトリック、悪意に満ちた歪んだ陰謀論の世界観をさしあたり私たちにとって用がない、ここにあって真にみるべきなのは、<お前たちはリベラルな新世界秩序を賛美する。しかし旧世界秩序のなにが間違っているというのだ?>という、この一文なのだ。ここには、私もたどったことのある一筋の道があることだけがわかる。わたしもそのために苦しんだ被植民地出身の同化知識人としての運命が、思考の道筋がな。」
先生「私たちは誇り高い民族だ。君もそれをいくらかは知っているだろう。しかし、私、私は、あえていおう、私の民は、私を理解しなかった、そしていつまでも3流小国土民の民に甘んじた。あまりにも誇りが高すぎて現実をみていない、みれない、わかっていない、わかる気もない。そんな民にあえていおうじゃないか裏切られたんだよ、私は。大きな歴史の流れのなかで私はいつも無力でただの傍観者にすぎなかった。いや、知識人として、知識人の誇りとしてそういうことは断じて許されない。知性をもって民に奉仕し一つの民族を救済しようと志した身にとってそんなことは断じて。しかし、結局のところひそひそ声でしかいえないのだが、私もそんな民の一人だったのだ。彼らとなにも変わりはない、それどころかまさに彼らの悪徳をまさに私自身恥じつつ隠し持っていたのだった。私には9・11のテロリストの生きた感覚が少しは理解できるような気がする。彼らも、自ら望み、そう欲し、そのために身を粉にして出世をすればするほど自らの中でどうしようもない違和感がひろがっていったのだろう。アメリカという帝国の中でどうしようもなく、明々白々な「異邦人」の群れの中から、そんなみじめな境遇から脱け出そうとすればするほど、彼らは自らを裏切って生きていることを自覚せざるえなかった。私はそう感じる。自由・平等・自律…どうしてそれらの価値を否定することができるだろう。西欧の知性が1000年かけて築いた、「人」であるならば自明の理。しかしその「人」のなかに私は、私の家族は、私の眷属は、私の民族は、私の民は入っていないのだった。そんなものをなんの理解もせずに頭から否定する無理解な民。その一方でそうした、現代の社会の基礎的なルールである西欧的価値観を肯定すれば肯定するほど、どこか自らの中に広がっていく虚無のブラックホール。あの手紙を読む。そうした観点から読む。そうするとどうしようもなくわかってくることがある。私たちは変わることを何よりも恐れている。私たちの文明が、私たちの文化が、私たちの生活が、西洋文明の大量消費社会で得られる享楽に、荘厳無比の哲学体系に裏付けられた、まともな脳みそをもっているならば有無をいわさず認めるしかない論理性に、その機械力に支えられた暴力装置に、完膚なきまで敗北し、支配され、隷従せざるをえないことを心底恐れている。多分、彼らは、いや私たちは負けるだろうと知っているのだろう。そして、あまりの高慢さゆえに、いやなんともいえないこのわけのわからない感情、どこまでも深く、どこまでも誠実に、この世界、この彼らの与えられた世界を、愛してしまったから。だから変わることを恐れている。もっと正確にいえば変えさせられてしまうことを恐れている。」
先生「思想なんてものは同じ時代、同じ環境、同じ年齢を生きていれば誰もが同じことを考えるし、そこに先取権なんてありえようがないのだ。本来的にはな。お前には何一つわからないだろう。いや今の君にはわからないだろうが、いつか君もこの先この社会で生きていこうとするならば、私の考えたこと、感じたことを否が応でも追体験する。そんな気持ちになることがあるだろう。この社会でどうしようもなく劣位の項として生きざるをえないならば。」
先生「…今世界は大きく変わろうとしている。いや、はっきり言って何一つ変わりはしないのだ、人間の本性というものはな。しかしお前らの生活は大きく変わる。繁栄を謳歌したがゆえに、これからの生活は、それが真実そうであるよりも、辛く苦しいものとなるだろう。社会の矛盾が、今まで金と物の力でごまかしてきたものが、耐えきれないほど赤裸々にあからさまにみせつけられるだろう。でもそれでも耐えてほしい。君たちには、現実から目を背けず、この社会に同化し適応するために自分を変えていきながら、それでいて、なおかつ自分自身を見失わずにいてほしい。その危うい道をたどり、歩みぬいてほしい。それが私の民に私が望んだすべてであり、知性をもって民に仕える者としてそれができるならば、私の人生はまさに幸福だったと言いうるだろう。」




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Opinions

  1. Post comment

    舞台で2人のやりとりを見てみたい。
    「歩みぬいてほしい」この言葉がとても心に残りました。
    (タイトルの意味が、ごめんなさい、分からなかったので、いつか教えて頂けると嬉しいです。)

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  2. Post comment

    2人の会話劇が、徐々に先生の方に熱が入って、加速していく感じが面白いと思いました。
    民を率いていこうとする先生の興奮が見えるような感じがしました。

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  3. Post comment

    烏滸がましいとは思いますが、『プロとコントラ』というタイトルは、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』のとある章からとらせていただきました。「肯定と否定」という意味のラテン語だそうです。愛と憎しみの対話劇を書きたいと思い名付けました。

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