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文学大賞 本編部門23 『麻酔銃』 作者 荒田軟石

引きこもり文学大賞 本編部門23

作者:荒田軟石

 太陽の光を憎んでいる。
 僕が行動するのは、いつでも夜だ。
 夜の闇が、この世界の穢いものを隠し、
 空気を少しだけ清純にする。
 僕はもう決して騙されないぞと思う。
 そう誓った日から、毎日、黒い服ばかりを着ている。
 自分の身を隠すには、暗い場所が必要だ。
 僕がここにいることを誰も知りはしないだろう。
 人間と、野生の獰猛な熊が共存不可能なように、
 この世界には棲み分けが必要なのだ。
 もしも昼の世界の人間に見つかったら、どうなるかって?
 麻酔銃を向けられるのは僕の方だ。
 僕は、僕の感覚を決して殺したくはないために、
 誰にも見つからぬよう、一人で暗闇に逃げた。
 世間では、それを引きこもりなどと呼ぶらしいが、
 そんなの僕の知ったことか。
 言いたい奴には、そう言わせておけばいいさ。
 だがしかし、僕と同じように暗闇を愛する友よ。
 暗闇に身を隠して、息を潜めている君よ。
 僕は、君の顔も、名前も知らないけれど、
 君の大切な暗闇が、誰かに侵されたりしないだろうかって、
 余計なお世話かもしれないが、少しだけ心配になる。
 あの麻酔銃にやられた奴がどうなるか、
 君は知っているだろうか?

 かつて、僕は昼の世界の住人だった――。
 きっと、君も見たことがあるだろう。
 昼の世界の住人は、皆、麻酔銃を携行している。
 撃たれたって死にはしないが、あれは危険なものだ。
 辛うじて、僕が袋叩きにされずに済んだのは、
 人の目を誤魔化すのが比較的得意だったからだろう。
 僕は、必死に昼の世界の住人のふりをした。
 何もかもが、心にもない演技だった。
 本当の自分を押し殺し、
 もう一人の自分に様々な役割を押し付けた。
 仲間と呼べる人間は、どこにもいなかった。
 周囲は、麻酔銃を持った敵ばかりだった。
 僕は、自分で自分を押し殺しながらも、生き続けた。
 好きでもない奴らとも付き合ったし、
 他人の欲求を満足させるよう振る舞った。
 行きたくもない学校に無理して通い、
 親や教師の望む、問題のない生徒の役割を演じ、
 行きたくもない会社で、馬車馬のように働き、
 会社の利益のために働く真面目な会社員を演じた。
 今思えば、全てが無駄だったと言い切れる。
 僕は、生きていたとは言えない。
 でも、こうも思うんだ。
 あれが完全な時間の無駄だったと気づいたことは、
 あの時の僕は死んでいたと気づいたことは、
 まるで奇跡みたいなことだと――。
 僕は、もう一度生まれ変わりたいと思う。
 この果てしない暗闇の中で。

 大切な友へ。
 君の身の上が少しだけ心配だ。
 君が、できる限りその場所で安全に過ごせるように、
 あの危険な麻酔銃に撃たれたときのことを話そう。
 それは、それは、酷い経験だったさ。
 僕が、昼の世界の住人だった頃の話だ。
 毎日、無数の麻酔銃に囲まれて怯えながら生活していた。
 まるで生きた心地もしなかったよ。
 その銃口は次に誰を狙うかわからなかった。
 僕は、サーカス団のピエロのような気持ちで、
 毎日を、必死に演技してやり過ごした。
 人の期待に応え、喜ばせる演技をすれば、
 大抵のことは大目に見てもらえるものだからね。
 しかし、それも無駄な努力だったと思うんだ。
 僕が、徹底して、偽りに、偽りを重ねても、
 どうしたって、無理が生じて、馬脚を露す。
 人間、本音を押し殺して、押し殺して、
 作り笑いばかりできるものじゃないさ。
 結局のところ、僕は、何度だって失敗したんだ。
 できうる限りの力で、自分を押し殺し、
 彼らと同じ昼の住人として振る舞っても、
 それでも、奴らの中の鋭い目をした何人かは、
 僕が、何から何まで装っていることを見抜く。
 僕は、何度だってあの麻酔銃を撃ち込まれたんだ。
 あの麻酔銃に撃たれると、
 脳髄が痺れて、まともに働かなくなってしまうんだ。
 自分の感情と思考が無くなって、無になってしまう。
 それは、とても気持ちがいいことで、
 あの麻酔薬に痺れている間は、あらゆる疑問を持たなくなってしまう。
 僕は、なぜ大嫌いな学校に通っているのか。
 僕は、なぜ大嫌いな会社に通っているのか。
 僕は、なぜ大嫌いな奴の笑顔のために、動いているのか。
 そんな疑問が頭の中から消えて、僕は、無になる。
 そして、麻酔薬の効き目が薄れた頃に、ハッと我に返るのだ――。
 僕という異分子を矯正するために、
 奴らは、麻酔銃を撃ち込み続ける必要があるのさ。
 矯正という名の麻酔銃が、常に僕の側にあった。
 それ故、僕は、一人、暗闇の中に逃げ込んだ。
 誰にも理解されないことが、いつしか存在証明になった。
 それは誰に自慢できることでもないだろう。
 しかし、こんな僕にも少しだけ誇れることが有るとするならば――、
 僕は、今まで、一度だって、麻酔銃を携行したことがなく、
 その銃口を誰かに向けたこともないということだ。
 僕の大切な友よ。君だけは理解してくれるだろう。
 君は、決して麻酔銃を所持しない人だ。
 君が君の感覚を殺してしまうことの無いように、
 今は、ただ、幸運を祈る――。




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