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応募作品2

【達磨蛙】

ペンネーム:文月葉月

≪蛙は注意深い足どりで凹みにはいった。そして彼は、これで大丈夫だと信じたので、凹みから顔だけ現わして次のように言った。
「俺は平気だ」
「出てこい!」
山椒魚は怒鳴った。そうして彼等は激しい口論をはじめたの




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Opinions

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    自分は文学は素人なのですが、何となく頭の中で「宮沢賢治文学」とリンクさせながら読んでみました。生き物の臨場感ある会話を楽しみながら読ませていただきました。個人的には、もう少し強烈な死生観あるいは宗教観みたいものが一貫していれば、もっと魅力的な文学作品になったのかな、と思ってみました。蛙と山椒魚のやりとりに「生」と「死」を付加して描いていけば、もっともっと面白くなると思いましたので、今後の一層の発展の楽しみにしております。

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    1. Post comment

       井伏鱒二『山椒魚』を下敷きに、視点を山椒魚から蛙に置き換えたある種のパロディ作品として楽しく読むことができた。大きな設定の変更はないと思われるが、この両者の関係が引きこもりとその親、或いは社会の関係に自然と見えてくる点はとても興味深い。井伏鱒二は当時の頭でっかちな知識人を山椒魚に例えたとも言われているが、実は現代の引きこもり問題を予見していたのかもしれないと思わせてくれる。特に自分が蛙を閉じ込めておいてからに、他人事のように無神経な言葉を投げかける山椒魚の姿には憤懣やるかたないものを感じるが、同時に彼自身がより大きな穴に閉じ込められていることを考えるとむしろ痛切な哀れみを誘う。蛙は、山椒魚も彼と同じくより大きな何かに閉じ込められていることを知っているのだろうか?あるいはこの世は無限の入れ子構造となって、無限の蛙と山椒魚がその中に蠢いているのであろうか?示唆に富んだ優れた作品である。

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    山椒魚のパロディであろうことはわかるが、恥ずかしながら元ネタである山椒魚をよく知らないために十分に楽しめない。自分の学の無さを恥じるばかりである。
    とはいえ、内容は理解できる。この作品が引きこもり文学大賞に投稿されているから、なのかもしれないが、自然と蛙を引きこもりに例えて読んでしまうところがある。そうであるかはともかく、山椒魚とのやり取りはスリリングで楽しめる。
    ラスト、蛙が唖然とする場面は、まさに神経を逆撫でされたであろう、と同情に堪えない。そして最後の一文でタイトルの真意が明かされる構成の巧みさには唸らされる。文学としての格調の高さも味わえる良作である。

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